◎今月の言葉(2002年1月)


清沢満之「他力の救済」より

 我、他力の救済を念ずるときは、我が世に処するの道開け
 我、他力の救済を忘るゝときは、我が世に処するの道閉づ。
 我、他力の救済を念ずるときは、
          我、物欲の為に迷わさるゝこと少く
 我、他力の救済を忘るゝときは、
          我、物欲の為に迷わさるゝこと多し
 我、他力の救済を念ずるときは、
          我が処するところに光明照し
 我、他力の救済を忘るゝときは、
          我が処するところに黒闇覆ふ。
 嗚呼、他力救済の念は、能く我をして迷倒苦悶の娑婆を脱し
 て、悟達安楽の浄土に入らしむるが如し。
 我は實に此の念によりて、現に救済されつゝあるを感ず。
 若し世に他力救済の教なかりせば、我は終に迷乱と悶絶と
 を 免れざりしなるべし。
 然るに今や濁浪滔々の闇黒世裡に在りて
 夙に清風掃々の光明海中に遊ぶを得るもの
 其の大恩高徳豈に区々たる感謝嘆美の及ぶ所ならんや。
清沢満之


 平凡社の世界大百科事典によれば、清沢満之は彼の孫弟子西村見暁氏によって次のように簡単に紹介されています。
「清沢満之1863〜1903 明治仏教の先覚者。東本願寺留学生として東京大学哲学科を卒業、「宗教哲学骸骨」を著わして初めて仏教に哲学的解明を与えたが、宗風の衰えをなげいて修道に志し、禁欲生活をなして肺病にかかった。雑誌「教界時言」を発行して宗政改革の運動を起し、浩々堂(こうこうどう)にあって雑誌「精神界」に精神主義を唱道した。絶対他力の立場をもって人間存在の立脚地を示した。東京巣鴨に真宗大学を建立して初代学監(長)となった。・・」
 現代では「精神主義」という言葉は、実質を伴わない空虚な口先だけのことばのように言われていますが、これは20世紀半ばの日本の敗戦による食料や物資欠乏の反作用として出てきた考え方で、端的にいって浅はかな考え方だと思います。なるほど人間は霞を食って生きてはいけませんが、だからといって、物質に取り囲まれた生活だけで人間は満足できるかというと、決してそうではないと思います。そして、これこそ、古来から世界の先哲が追及してきた問題です。物質とともに人間に真に生きがいを与えるのは、生きることについての、真摯な精神性ではないでしょうか。21世紀になった今、そろそろ、そのことを考え、物質にかたよった結果、かえってオカルト的風潮が跋扈する現代に、静かに考えてみたい気がします。その意味で、40歳に充たぬ若さで亡くなった「清沢満之」の脈動する真の人間のことばを味わっていきたいと思います。
 上の『他力の救済』は明治36年6月に雑誌「精神界」に掲載されたものですが、いうなれば、これは、真の信仰(信心)を得た結果いえる言葉、すなわち「信後のことば」でありましょう。この真の信仰(信心)を得るまでの満之の苦闘の経緯はどうなのでしょう。このことを端的に満之自身が説明しようとしたのが彼の絶筆となった『我が信念』での文章ではないかと思います。来月から、この『我が信念』について、味わっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 




◎今月の言葉(2002年2月)


清沢満之「我が信念」より抜粋

 私が如来を信ずるのは、私の智慧の究極であるのである。人生の事に真面目でなかりし間は、措いて云はず、少しく真面目になり来りてからは、どうも人生の意義に就いて研究せずには居られないことになり、其研究が遂に人生の意義は不可解であると云う所に到達して、茲に如来を信ずると云ふことを惹起したのであります。信念を得るには、強ち此の如き研究を要するわけでないからして、私が此の如き順序を経たのは、偶然のことではないか、と云う様な疑もありそうであるが、私の信念は、そうでなく、此順序を経るのが必要であったのであります。私の信念には、私が一切のことに就いて私の自力の無功なることを信ずる、と云う点があります。此自力の無功なることを信ずるのは、私の智慧や思案の有り丈を尽して、其頭の挙げようのない様になる、と云うことが必要である。此が甚だ骨の折れた仕事でありました。其窮極の達せらるる前にも随分、宗教的信念はこんなものである、と云う様な決着は時々出来ましたが、其が後から後から打ち壊されてしまうたことが、幾度もありました。論理や研究で宗教を建立しようと思うている間は、此の難を免れませぬ。何が善だやら悪だやら、何が真理だやら非真理だやら、何が幸福だやら不幸だやら、一つも分るものではない、我には何にも分らないとなった所で、一切の事を挙げて悉く之を如来に信頼する、と云うことになったのが、私の信念の大要点であります。  私の信念はどんなものであるかと申せば、如来を信ずることである。其如来は、私の信ずることの出来る又信ぜざるを得ざる所の本体である。私の信ずることの出来る如来と云うのは、私の自力は、何等の能力もないもの、自ら独立する能力のないもの、其無能の私をして私たらしむる能力の根本本体が、即ち如来である。私は、何が善だやら何が悪だやら、何が真理だやら何が非真理だやら、何が幸福だやら何が不幸だやら、何も知り分る能力のない私、随って、善だの悪だの、真理だの非真理だの、幸福だの不幸だの、ということのある世界には、左へも右へも、前へも後へも、どちらえも身動き一寸もすることを得ぬ私、此私をして、虚心平気に、此世界に生死することを得しむる能力の根本本体が、即ち私の信ずる如来である。私は此如来を信ぜずしては、生きても居られず、死んで往くことも出来ぬ。私は此如来を信ぜずしては居られない。此如来は、私が信ぜざるを得ざる所の如来である。  私の信念は大略此の如きものである。第一の点より云えば、如来は私に対する無限の慈悲である。第二の点より云えば、如来は私に対する無限の智慧である。第三の点より云えば、如来は私に対 する無限の能力である。斯くして私の信念は、無限の慈悲と、無限の智慧と、無限の能力との實在を信ずるのである。無限の慈悲なるが故に、信念確定の其の時より、如来は私をして直ちに平穏と安楽とを得しめたまふ。私の信ずる如来は、来世を待たず、現世に於いて、既に大なる幸福を私に與へたまふ。私は他の事によりて、多少の幸福を得られないことはない。けれども如何なる幸福も、此の信念の幸福に勝るものはない。故に信念の幸福は、私の現世における最大幸福である。此は私が毎日毎夜實験しつゝある所の幸福である。来世の幸福のことは、私はまだ實験しないことであるから、此處に陳ぶることは出来ぬ。
ー 後略 ー
   
清沢満之


 以上は、「我が信念」の一部を抜粋したものです。彼の思想の根底となる部分をあげたつもりですが、これだけではとても、彼の思想の全体像を伺えるとはいかないかもしれません。そう思われる方はぜひ、我が信念をはじめとする、かれの著作を読まれたらと思います。
ところで、ここで気がつくことは、彼はこの文章を書くにあたって、全部を当時の口語体で書いているということです。ここには、仏教の専門用語は少しも使われておりません。ここにも、彼がいかに一般人の我々に、彼が体験し実験した仏教の真実をわかりやすく伝えたいと念願していたことが伺えます。このことも、彼の現代性を如実にあらわす事柄であると思います。
 いずれにしても、彼の絶筆「我が信念」は、「私」の存在を、確固とした土台の上の存在たらしむる思想でありました。すなわち、宇宙、時空の根本本体である如来について、そして自分について、デカルト流に言えば「如来あり、故に我あり」ということではないかと思っています。  




◎今月の言葉(2002年3月)

 春の日差しがふりそそぐ季節となりました。先月は清沢満之の「我が信念」の一部を抜粋して掲載させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。やはり全文ではありませんでしたし、その上、私の拙い注釈めいた言葉がよけいに不明な点を増幅させ、充分ご共感いただけなかったのではないかと反省しております。ちなみに全文は「我が信念全文」をクリックしていただきご覧頂くことができますのでご参照ください。
 今月は、同じく清沢満之の「絶対他力の大道」の文章の冒頭の部分を掲載し、彼の全生命の真底からあふれ出た格調高い名文を味わってみたいと存じます。

清沢満之「絶対他力の大道」より

 自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して任運に法爾に、此の現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり。
 只だ夫れ絶対無限に乗託す。故に死生のこと憂ふるに足らず。死生尚ほ且つ憂ふるに足らず、如何にいわんや之より而下なる事項においてをや。追放可なり。獄牢甘んずべし。誹謗擯斥許多の陵辱あに意に介すべきものあらんや。我等は寧ろ、只管絶対無限の我等に賦与せるものを楽しまんかな。
清沢満之


 これはまた、なんと厳しくもまた我々の生の本質を突いた言葉ではありませんか。自分の根源をつくづく考えて見れば結局はこのような結論になると高らかに宣言しています。死生をまさに超えなんとする、彼の精神の真底から湧き出でる言葉に耳をかたむけ、絶対無限の妙用に浴す生命の讃歌そのものを味わいたいと思います。 



◎今月の言葉(2002年4月)

 桜の花がはや散り急ぐ今年の春。地球温暖化が急速に進んでいるのではないかと心配です。清沢満之の思想はこの世界的展開にどう対処するのでしょうか。
 今月は、同じく清沢満之の「絶対他力の大道」の第二番目の文章を掲載し、皆様と共に味わっていきたいと思います。
 なお、清沢満之の絶筆「我が信念」の全文は、今しばらく掲載しておきたいと思い、下記の「我が信念全文」をクリックしていただけるように致しました。
「我が信念全文」

清沢満之「絶対他力の大道」より(その2)

 宇宙万有の千変万化は、皆な是れ一大不可思議の妙用に属す。而して我等は之を当然通常の現象として、毫も之を尊崇敬拝するの念を生ずることなし。我等にして智なく感なくば、則ち止む。苟も智と感とを具備して、此の如きは、蓋し迷倒ならずとするを得むや。一色の映ずるも、一香の薫ずるも、決して色香そのものの原起力に因るに非ず。皆な彼の一大不可思議力の発動に基くものならずばあらず。色香のみならず、我等自己其のものは如何。其の従来するや、其の趣向するや、一も我等の自ら意欲して左右し得る所のものにあらず。ただ生前死後の意の如くならざるのみならず、現前一念における心の起滅亦た自在なるものにあらず。我等は絶対的に他力の掌中に在るものなり。
清沢満之


 明治の言葉ですから、いささか奇妙な感をもたれるかもしれませんが、これを現代語風に直すと、この文章の真価が損なわれてしまいますので、できるかぎり、そのまま転記しました。
 「宇宙万有の千変万化は、皆な是れ一大不可思議の妙用に属す」・・なにか神秘主義のように思われるかもしれませんが、我々の存在の根元をよくよく考えてみれば、このようになるのではないでしょうか。私は宗教に特別な奇蹟、現世的小さな奇蹟はいらないと思います。なぜなら、この宇宙の存在、そのものがすべて奇蹟といっていいと思うからです。「宇宙万有の千変万化は・・・」の劈頭の文章はこのことを言っているのではないでしょうか。「在るものは在る」という公理から出発する科学的合理主義は、その公理の向こう側については、思考を放棄します。勿論、現世的事柄については科学的思考は尊重されねばなりませんが、自己の存在の根元を考えるとき、宇宙時空存在の根元を考えるとき、此の公理だけから出発する科学はそれを説明することはできません。そこに、この宇宙時空の存在こそ奇蹟と考える「皆な是れ一大不可思議の妙用に・・・」という清沢の出発点があるものと考えられます。この出発点があれば、あとは一色一香、生前死後、現前一念の展開は清沢のいう絶対無限の妙用に乗託した任運法爾の展開であり、我等は絶対的に他力の掌中に在るということができるものと考えられます。
 絶対他力の掌中に在る我々が、冒頭の「地球温暖化」を心配している。我々は、此の問題においても絶対他力の妙用に乗託し積極果敢に行動を起していくことができるのではないでしょうか。




◎今月の言葉(2002年5月)

 季節の移り変わりが少し速いとはいえ、1年中で最も過ごしやすい季節となりました。咲き誇るつつじの花は、この好季節を色彩で表わす代表ともいえるようです。 今月は、同じく清沢満之の「絶対他力の大道」の第3番目の文章を掲載し、生死を超えて永遠を見つめる彼の言葉を皆様と共に味わっていきたいと思います。
 なお、清沢満之の絶筆「我が信念」の全文は、今月も掲載しておきたいと思い、下記の「我が信念全文」をクリックしていただけるようにしております。
「我が信念全文」

清沢満之「絶対他力の大道」より(その3)

 我等は死せざるべからず、我等は死するも尚ほ我等は滅せず。生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。我等は生死に左右せらるべきものにあらざるなり。我等は生死以外に霊存するものなり。
 然れども生死は我等の自由に指定し得るものにあらざるなり。生死は全く不可思議なる他力の妙用によるものなり。然れば我等は生死に対して悲喜すべからず。生死尚ほ然り、況んや其の他の転変に於いてをや。我等は寧ろ宇宙万化の内に於いて彼の無限他力の妙用を嘆賞せんのみ。
清沢満之


 今月もできるかぎり、原文に近いことばで転記しました。
 「生のみが我等にあらず。死もまた我等なり。」力強いこの言葉の中に永遠を見る彼の直覚が働いているように思えます。「我等は生死以外に霊存するものなり」。「霊」というと「霊の存在云々」というようなことになり、ややこしくなりますが、ここではそうではなく、絶対他力による自己の生死をこのように表現したことはいうまでもありません。すなわち彼は後半において「生死は全く不可思議なる他力の妙用によるものなり。」と述べ、生のみならず、死もまた絶対他力の妙用によるものであることをはっきりと述べています。まさに「生のみが我等にあらず死もまた我等なり」といえるわけでしょう。我々の根元をここまではっきりと表現できる彼は、絶対無限の如来大悲のはたらきで生死する我々の存在を如実に実感していたのでしょう。そして最後に「生死なお然り、況んや其の他の転変に於いてをや。我等は寧ろ宇宙万化の内に於いて、かの無限他力の妙用を嘆賞せんのみ。」と結ぶこの言葉こそ、日々の我執の迷妄に常に陥りがちな我々の精神に、爽やかな客観性と余裕を与えてくれるものではないでしょうか。




◎今月の言葉(2002年6月)

 いよいよ6月の声をきくこととなりました。その間、世界的には瀋陽事件をはじめ諸々の政治スキャンダル、小さくは身の回りの不祥事など、心穏やかでないことが次々と起こります。「絶対他力の大道」によれば「我等は寧ろ、ひたすら絶対無限の我等に賦与せるものと楽しまんかな。」であるわけでしょうが、なかなか凡愚の身には、そうもいきません。そんなことを考えながら、今月も同じく、次の強烈な清沢のことばを味わいたいと思います。
 なおしばらく、下記の「我が信念全文」はクリックしていただけるようにしております。
「我が信念全文」

清沢満之「絶対他力の大道」より(その4)

 独立者は常に生死巌頭に立在すべきなり。殺戮餓死固より覚悟の事たるべし。既に殺戮餓死を覚悟す。若し衣食あらば之を受用すべし、尽くれば従容死に就くべきなり。而して若し妻子眷属あるものは、先ず彼等の衣食を先とすべし。即ち我が有る所のものは我を措いて先づ彼等に給与せよ。その残る所を以って我を被養すべきなり。ただ、我れ死せば彼等如何して被養を得んと苦慮すること勿れ。此には絶対他力の大道を確信せば足れり。斯く大道は決して彼等を捨てざるべし。彼等は如何にしてか被養の道を得るに到るべし。若し彼等到底之を得ざらんか、是れ大道彼等に死を命ずるなり。彼等之を甘受すべきなり。ソクラテス氏曰く、我セサリーに行きて不在なりしとき、天、人の慈愛を用いて彼等を被養しき。今我れ若し遠き邦に逝かんに、天,豈に亦た彼等を被養せざらんやと。
清沢満之


 これもまた、なんと強烈な文章でありましょう。明治35年6月の雑誌「精神界」に載せられたとはいえ、もとは日記「臘扇記」から出典されたものということですから、満之が日記の中で自己への覚悟として書きこんだものでしょう。満之はこれで人を導いたり、ましてや人に強制したりする人ではありませんから。また、ここには40歳に満たない満之の若き理想主義もかいま見えるようです。まことに満之のみずみずしくも強烈な文章です。私にはとてもとても、この文章のようにはできませんし、まねもできません。只々、自己の不甲斐なさを感じるばかりです。しかし、親鸞思想はなんと、ふところ深くも有難いことでしょう。このような不甲斐ない私をこそすくいとってくださる大悲の真実。私は勝手にそのように解釈しています。



◎今月の言葉(2002年7月)

 清沢満之の「絶対他力の大道」の中の深い宗教性を持った幾つかの文章をあげさせていただきました。今月は、私事になって恐縮ですが、私自身が清沢満之に出遇うことができた経緯を述べることをお許しください。また、スペースもありませんのでいきなり本論に入ることもお許し下さい。
 それは、甥が所持していた、今は亡くなられた元法政大学英文学の教授の(故)本多顕彰氏著『歎異抄入門』をちょっとした興味から借りて読んだことに始まります。一生を左右する「ことば」との出遇いということも、なんでもない日常のことから始まるのですね。本多氏は、その中で、氏が親鸞の思想にたどりついた経緯を率直に語っておられました。読み進むうちに次のような部分に出くわしました。
『高山樗牛は「死後の盛名何するものぞ、如かず生前一杯の酒。」といった名文句で、そのころ旧制中学生であった私たちをすっかり心酔させていたが、思想の深さにおいて清沢満之に遠くおよばないということを私は聞かされていた。その清沢満之が親鸞の熱心な信者であったことを知らされたのは最近のことである。』としてそのあと次の「我が信念」の文章をあげておられます。

本多顕彰氏の挙げておられる「我が信念」の部分

 「私が如来を信ずるのは、私の知恵の究極であるのである。・・・少しく真面目になり来たりてからは、どうも人生の意義について研究せずにはいられないことになり、その研究がついに人生の意義は不可解であると言うところに到達して、ここに如来を信ずると言うことを惹起したのであります。」「如来は、私に対する無限の能力である。かくして私の信念は、無限の慈悲と、無限の知恵と、無限の能力との実在を信ずるのである。無限の慈悲なるが故に、信念確定のその時より、如来は、私をしてただちに平穏と安楽とを得しめたもう。私の信ずる如来は、来世を待たず、現世において、既に大なる幸福を私に与えたもう。・・・これは私が毎日毎夜に実験しつつあるところの幸福である。来世の幸福のことは、私はまだ実験しないことであるから、ここに陳ぶることはできぬ。」
清沢満之


 以上、清沢満之の文章ですが、私(HP作成者)は、この中の「無限の慈悲」と「無限の知恵」と「無限の能力」の実在を信ずる。とした清沢満之のことばを読んだとき、まるで電気に打たれたように感動し納得てしまいました。その「納得」は、それまでの私の長い思想遍歴のあげくの果ての「納得」でありました。それは、私が長い間、探し求めていた「ことば」でありました。そして私は死ぬまで、私に対するこの「ことば」の価値は変わらないことを確信できます。この「ことば」に納得できた時点で、親鸞の思想もほんとうに納得できるようになったと思います。ひとつの「ことば」に出遇うことが、小さな私の精神史に死ぬまで消えない灯をともしていただけたことは、どのような感謝のことばも及ばないものと、唯々、清沢師とともに善智識本多顕彰師に手をあわすばかりです。以上、恥ずかしながらも、しかも胸をはって申し上げられる清沢満之との出遇いの経過であります。
 以上、今月をもって、清沢満之のことばシリーズをひとまず終わりたいと存じます。 なお下記の「我が信念全文」は今月もクリックしていただけるようにしております。
「我が信念全文」





◎今月の言葉(2002年8月)

 今月から、また、元に戻って、個々の宗教的な言葉で、心に響いたものを掲載したいと思います。

著書「東洋の叡智」において 薗田香勲氏

 宗教というものは理屈を超えたものであり、又あるべきだ、という風に言われる。誠にその通りであろう。しかし、理屈を超えるということは、人間の小ざかしい理屈を超えるということであって、人間の小ざかしい理屈を超えた所にかえって更に大きな道理、自然のことわりというか法界の道理というかそのようなものが全現するように思われる。信心とはこのような道理に耳を傾け、このようなことわりに眼を開くことであり、それが亦、仏法そのものの持ち味であるとも言えるのではあるまいか。

 筆者 薗田香勲氏は明治38年和歌山市生れ。昭和2年、京都大学文学部(独文科)を卒業。元大阪府立大学教授であり和歌山市妙慶寺住職でもある。
主著には専門の独文学関係で
「ゲーテ的人間」「ゲーテと東洋精神」「ニーチェと仏教」
また、仏教関係として「無量寿経異本の研究」「東洋の叡智」他がある。



 よく、宗教というものは理屈を越えたものであって、理屈で宗教を理解しようとしてもできるものではないといわれる。なるほど、もっとものように思えるかもしれないが、現代人のわれわれには、それだけで宗教の価値を認めうるだろうか。私は認めがたいと考える。ただ単に、奇蹟を信じよといわれても、私の理性は常にそれを拒否していることがわかる。やはり、そこには大きな論理があり、上記薗田氏のいわれる「大きな道理、自然のことわり、法界の道理」というものがなければならない。すなわち、理性が納得するものがなければならない。と思います。そういった意味で、先月の清沢満之のいうところの考えに考えた上での「知恵の究極」といったものがなければならないと思いますがいかがでしょうか。ーHP筆者ー




◎今月の言葉(2002年9月)

「極楽」について ー水谷教章師ー

 極楽は「何処に」などと探すべきものではなくて、実は「みな人の成仏すれば、それが極楽」であって、今の今、今日の唯今という切実な「此土」「此界」そのものの上に、極楽を捉えなくては、人間にとって、極楽の問題は意味がないのであります。即ち、現実を極楽にするのであり、また極楽にしうるのであり、また、極楽にせんとするのであり、また極楽と受取りうる自己とするのであり、現実を極楽とうけとりうる自己にまで、自己を高めて育てることなのであります。若しそうでなかったら、どこの誰が、どういう風にして往生極楽するというのでありましょうか。

水谷教章師
1897年11月誕生。
1970年当時、京都市大原三千院門跡門主。日本仏教文化協会会長



 「極楽」は死後の世界に行くところというのが大体の我々がもっている常識だと思います。もっとも「地獄」に行くという見解もあって「地獄必定」という言葉もあるようですが。・・
 しかし、こと「極楽」にかぎっていいますと、水谷師は「今の今、今日の唯今という「此土」「此界」で「極楽」を捉えなくては人間にとって意味がない」と喝破しておられます。われわれ宗教を求める者が生きているうちにたどりつこうとする見解のひとつが此の事なのではないでしょうか。だからといって現実は「日々春風のただよう安楽の世界」ではなく、これこそ「地獄」といわねばならぬことが、世間にも我が身にもあるわけですが、にもかかわらず、「此土」「此界」を極楽といえる心境、ここには決して宗教家のやせ我慢ではない「真実」が感じられます。「若しそうでなかったら、どこの誰が、どういう風にして往生極楽するのでありましょうか。」と言い放つ水谷師の言葉は真の宗教家にしてはじめていえる「ことば」ではないでしょうか。今生において偽物でない真の信仰を与えられるとはまさにこのことだと思います。
 歌の曲にもある「京都大原三千院」は、今まで単なる観光寺院としてしかとらえておりませんでしたが、このような素晴らしいことばのあるお寺であることがわかった今、一度ぜひ行ってみたいと思っております。ーHP筆者ー




◎今月の言葉(2002年10月)

 我が生涯の目的は我れが完全に基督を解せんとするにあり、我に歓喜あり、悲哀あり、成功あり、失敗あり、希望あり、失望あり、心身を裂かるゝに等しき苦痛あるは、是れ皆我れが完全に我が主イエス キリストを解せんが為なり、故に我れ我が国人に誤解せられ、其石打つ所となり、ステパナの如き苦楚を嘗むる事あるも、我にして若し此辛らき経験に依って一層深くキリストを解するに至らば、我は益を受けし者にして害を蒙りし者にあらざるなり、我れ若し友の捨る所となり、彼等に罵られ、嘲けられ、面前に於て堪え難きの恥辱を蒙らせらるゝ事あるも、我れ若し之に依て一歩たりとも我が主に近づくを得ば、我は悲しむべき者にあらずして、喜び且つ感謝すべき者なり、永遠無窮の生命とはキリストに於ける生涯に外ならざれば、我をしてキリストを識らしむるものは、其如何に苦しき盃たるに關はらず、我は感謝して之を受くべきなり。
内村鑑三全集(昭7年刊) 「所感」より

 今月からしばらく「患難」についての、内村鑑三のことばを味わっていきたいと思います。鑑三がその生涯にのべ伝えたことばの中で、私はこの「患難」について述べたことばに最も感銘を受け、苦難にあえぎながらも、彼がその先にあるキリストの希望をのべたことばの数々に、どれほどはげまされたか知れません。その意味で、内村鑑三は、まさに神のことばをのべ伝える預言者であったことがわかります。上記のことばは明治33年10月、彼が雑誌「聖書之研究」を創刊してまもなくのことばです。キリストをのべ伝えるあふれるばかりの希望とともに、人知では計り知れざる、前途への不安もあったに違いありません。そのような、彼の心の内が如実に読み取れるような気がします。この希望と不安は「聖書之研究」第1号の巻頭のことばを「我は福音を耻とせず、此福音はユダヤ人を始めギリシヤ人総て信ずる者を救はんとの神の大能なればなり。」というパウロのことばでもってかざっていることにも現れているように思います。神の道を歩もうとする、あふれるばかりの希望と、前途への限りなき不安、これこそ人が経験しうる至高の心の状態ではないでしょうか。




◎今月の言葉(2002年11月)

 艱難は之を受くる時に決して悦ばしきものにあらず、然れどもその忍耐の実を結びて、より高き信仰を吾人に供するに至て、吾人は艱難を我が姉妹なり、我が兄弟なりと呼ぶに至る、神の造りしものにして実は艱難に優るものはなけん、そは他の物は吾人に示すに神の力と智慧とを以ってすれども、艱難は吾人を導きて直ちに神の心に抵(いた)らしむればなり。
内村鑑三全集(昭7年刊) 「所感」より

 この「ことば」も明治33年10月のものです。イエスキリストによって歩もうとする内村の進取の精神は、まさに艱難と闘う日々の連続でもあったでしょう。実際、私たちの人生も実のところ「快楽」は少なく、「苦しみ」の方が多い日々ともいえます。しかし、振り返ってみますと、そよ風が心地よく吹くように楽に過ごしたときのことは、あとになれば跡形もなく忘れてしまっていることが多く,それに比べ、苦しかったときのことは、後々までよく覚えています。人生の質からいっても、「艱難」のときは「心地よき」ときより深く刻まれているように思います。しかし、だからといって、やはり「艱難」は求めずして遭遇するものであるだけに、まさに信仰によって生きる者には、神によって与えられたる賜物とうつるはずです。徳川家康に「人生は重い荷を背負って、長い坂を登るようなものだ。」ということばがあるときいていますが、これには「事実」はあっても、「救い」はあまり感じられません。鑑三のことばには救いと希望があります。しかし、これには、神によって生かされる自分という信仰の原点がなければ味わえないことでしょう。その意味で「艱難は吾人を導きて直に神の心に抵らしむればなり」という鑑三のことばは味わうべきことばだと思います。        - HP作成者 -




◎今月の言葉(2002年12月)

我等神を信ずる者に取ては患難は懲治なり、是れ我等を殺さんため
のものにあらず、我等を癒し、我等を活かさんためのものなり、患難
なき者は神に愛せられざる者なり,誰か父の懲めざる子あらん乎(や),
 すべての人の受くる懲治にして若しなんじらになくば、なんじらは私生児にして実子に非ず、また、われらの肉体の父は、われらを懲らしめし者なるに、われらは尚を彼を敬へり、まして霊魂の父をや、われらは彼に従いて生命を受くべきなり、・・・・凡ての懲治は其当時は悦ばしきものにあらず、否な、反(かえっ)て悲しと意(おも)わるる
ものなり、然れども之に由て鍛錬されし者には後には平康の果を結
ばせり即ち義の結果なる平康の果を結ばせり
(明治35年11月)
[太字部、希伯来(ヘブル)書第12章] 
内村鑑三全集(昭7年刊) 「所感」より

 やや、難解な漢字も混じっていますが、できるだけ「所感」の文章のとおりに書き写しました。(  )内の「読み」も一応は調べたつもりですが、もしおかしなところがありましたら、ご指摘ください。
 信仰により生きる者にとって、患難は父の懲治であり、恩恵であるととる内村師ですが、私どもも振り返って、あらためて患難について自身がどう受けとるかを、自分について考える必要を感じます。それは、やはり、言葉だけでは言い尽くし、感じ尽くせない自分の今までがあり,今があるからです。内村師のこのすばらしい信仰の言葉は、やはり,もう一度、自分自身の中で味わい尽くし、消化しつくし、自分なりの言葉を創り出さねばならない気がします。それにしても、内村師はこのときも、そしてこのあとも、生涯にわたって「患難」について語ってくれています。そのことは、内村師にとっても,患難の持つ意味を、その時その時に振り返って感じ、そして、信仰をあらたにする何かがあったのに違いありません。そのことは、なおのこと、私達と同じ地平に立つ内村師を感ずることができ,滋味に富んだ内村師の信仰を自分の中にとりいれることができるような気がします。
- HP作成者 -