◎今月の言葉(2003年12月)

        
山崎弁栄

−無量光寿より−

 吾人が瞻仰するところの大宇宙を通じて全体、これ吾人が仰ぐところの大御親の身心にましま せり。宇宙全体が如来の御身にして、また如来の精神にまします。吾人は宇宙全体を通じて絶対 的なる如来を信ぜざるを得ず。全体が身にして、また如来心なり。全体が如来心なるが故に、宇 宙は如来の大智慧光明の至らざる所なし。また如来大威神カの存在せざる所なし。吾人が見ると ころの天地万物、日月星辰、一切万有も惹く如来心身の現象ならざるはなし。如来の本体は一体 にて、しかも一切なり。実に不可思議にして不可思議なるものは、如来にましませり。自然界の 万有も、如来心を離れてあることなし。一切の動植物、いかに微細なるも、如来心を離れたる者 あるべけんや。微少なるものは微にしてまた不可思議なり。宇宙の大なるは大にしてまた不可思 議なり。宇宙は如来心霊態の故に、実に深玄なり。吾人が肉眼をもって見るところのものは、あ る一方面に過ぎず。もし心眼を開きて見る時は、ここが即ち常寂光土なり。宇宙を尽して蓮華蔵 世界なり。これ、重々無尽の妙色荘厳界なり、また大日自性法界宮なり。大毘盧舎那如来、無量 の法身の菩薩のために常恒に説法したまえり。ここが即ち西方極楽世界なり。弥陀如来、常に法 輪を転じたまう処なり。大日と云い、弥陀と云い、唯一の大御親の異名に過ぎず。
   
ー以上、山崎弁栄著「無量光寿235〜236頁」よりー

    
 今月も、随分長い引用文になりました。私は以前から明治を代表する卓越無比な宗教家としてキリスト教の内村鑑三と浄土真宗の清沢満之をなにを置いても挙げねばならないと考えておりましたが、ここに、もう一人、上記二尊に浄土宗の山崎弁栄をどうしても加えるべきと考えるに至りました。上記、「無量光寿」よりの引用文は、弁栄聖者の思想の中核を端的に表すものであると、私は考えます。また、奇しくも弁栄聖者の誕生(1859年)は内村の1861年、清沢の1863年に対してさかのぼること2年と4年、これは、まさに同時代人と言っていいでしょう。数年後に明治維新がはじまる、激動の時代、このような時代背景が、これら時代の預言者ともいうべき人を生んだのでしょうか。内村は、それまで禁教であったキリスト教という外来宗教を日本の土壌に根付かせ、清沢は、形骸化し、意味不明になりかけていた、江戸時代以来の浄土真宗の近代思想化を実現しましたが、弁栄も同じように宗祖法然の思想に近代の燭光を当てた人であると言えないでしょうか。上記の引用文を心読すれば、現代の我々が持つ宇宙観に宗教的光を当てたとものいうこともできると思います。そして、そのことが、とりもなおさず、法然の南無阿弥陀仏、親鸞の帰命尽十方無碍光如来の信仰と水脈を同じにする大きな宗教心、大悲に生かされ生きる我々の実存を如実に顕わしているといえないでしょうか。清沢、ひいては内村とも同じことを言っている。清沢、山崎について言えば「浄土は来世のことでなく,信心の現在に現前する」、内村について言えば「神の国はキリスト教信仰の現在に現前する」といえないでしょうか。



◎今月の言葉(2003年11月)

        
御用説教

−昭和11年頃、安右衛門がふともらす世相のこと−

 このごろは日本精神の大流行で、耳にタコの出来る程聞き飽きた。今朝も坊さんがラヂオで日本精神のお説教だ。厭になったのでスイッチを切った。
 あまり御用説教を無理強いされると反感が起る。何が日本精神か、軍閥、重臣閥、資本閥、政党閥、そうした階級をハッキリ認識せよ。−−といいたくなるではないか。何が日本精神か、馬鹿馬鹿しくなる。殊に唱える輩に真の日本精神があるや否や疑わしい気さえ起る。何もかも近頃の世相は癪にさわることばかりだ。口をひらけば明徴明徴と咆哮する。そんなことは今更云わんだって、こちとらには解っているよ。あんまり我々に国家観念を御説教されると、逆に人類主義四海同胞主義を高潮したくなる。
   
ー宮崎安右衛門著 「信仰生活の書」よりー

    
 上記は冒頭に書かせていただいたごとく、軍国主義一色の昭和11年ごろの安右衛門の、ふと、もらした“つぶやき”です。「信仰生活の書」のほとんどの宗教的な随想の中で、この部分にだけ当時の世相に対する憤懣をぶつけています。それだけに、大変、重みがあるように思います。当時の多くの民衆が腹の中でなんとなく思っていた、イデオロギー一色の世相に対する憤懣でもあったようです。かく云う当HP筆者なども、終戦の日、午前中は鬼畜米英一色で放送していたラヂオが、午後も夕方頃になると、たちまち、アメリカさまさまになったのを子ども心にも呆気にとられてしまったのを今だに憶えています。そのときから、右でも左でも、とにかくイデオロギーというものは信用できないということが、身についてしまいました。なにか政治的なプロパガンダで正義の味方ずらをされると、つい眼をこすってしまうのです。なんだか首尾一貫せず、シャッキリしないけれども盛んに悩み模索している方がまだ信用が置けるようにも思うのです。なにはともあれ、“物言えばくちびる寒し”という特定のイデオロギー一色の時代にはなりたくないものです。
 今月は宗教者, 宮崎安右衛門のことばとしては、チョットお門違いのものになってしまいましたが、特定の宗教宗派にさえ、こだわらなかった、安右衛門らしい、自由人の心根が覗けるのではないかと思います。宮崎安右衛門の‘ことば’はこのぐらいで終り,来月からまた新しい、こころの言葉の探索に向いたいと思います。




◎今月の言葉(2003年10月)

        
あさましさ


 他よりみると自分の信仰は確かりして徹底してゐる、余ほど悟つて居るーーと見られ思われ信 じられて居るやうだ。實は恥づかしくてならぬほど自分の信仰は小さい、どうかすると我等亡ぶ ーーと悲鳴をあげる自分である。自分のあさましさに呆れてゐる。女房の言ひぶりが気に食わん とすぐと腹がたつ、子供が騒ぐと怒る、友が違約すると癪にさわる、美しい女性を見ると心がさわ ぐ、おまけに、怠けもので気に入ることなら進んでやるが、さうでない時は頼まれてもやらぬ、 人と約束しても中々實行せぬ、よわいくせに強がりぶりを示し、少しく銭が入れば喜び、無一文 のときは淋しく元気がない、ことに嘘をつく、實行するつもりでゐても、時がたつと忘却して了ふ、 貧乏なくせに貴族的生活を好み、他が説法をするのを忌み嫌つて、自分の説法は肯定するといふ 工合に萬事につけて自分ぐらゐエゴイストは無い。自分を解剖してメスを振うといやはやどこも かしこも悪いところだらけで善いところは皆目ない。全く他より徹底してゐるとか篤信とか達人 とか見られることは情ない次第だ。見られるだけ嘘をついてゐる不届千萬な自分だ。その癖他よ りほめられると快よく思ひ、悪評されると心では肯定してゐても表は反抗する。他の失敗を喜び、 他の成功を妬み、他がよくほめられ評判がよいと不快を感じる、他に奢って貰ふ時は平気で、自分 が銭を出す時は渋り、他に物をやる時は少なく、貰ふ時は多きを望む、といった工合に全然自分 といふものは風上におけぬ代物だ。斯の如く自分のわるさを検査して厳しく糾弾してゆくと、あ ッ・・・・・・・・書けるような、公表されるような欠点は欠点ではないといふ事になる。もつと深刻 な公表の出来ぬ秘密がある。それがはつきり書けぬといふ弱い自分である。                
ー宮崎安右衛門著 「信仰生活の書」よりー

    
 今月は随分長い引用文になってしまいました。上記は書籍「信仰生活の書」の中の一篇「大愚の書」のなかの一文です。安右衛門の鋭く深い宗教心の発露である「信仰生活の書」の中には、宗教性豊かな文章は たくさんありますが、そのなかから引用すべき文を、あれか、これかと迷ったあげく、今月は、結局 上記の文になりました。しかし、まあ、この文章を読むと、これは、当HP筆者自身のことを言われているようで、上記の文の冒頭一行余以外は、ほとんどまったく、自分にあてはまっている始末です。もっともらしい宗教談義の好きな人間が、ひとかわ剥げば、このていたらく。せめて、ここでいえることはどのようなことでしょうか。こう思って、上記の文を問いなおすと、これは、「親鸞聖人」の和讃、愚禿悲嘆述懐にでてくる“浄土真宗に帰すれども、まことの心はありがたし、虚仮不実のこの身にて、清浄の心さらになし”、“外儀のすがたはひとごとに賢善精進現ぜしむ、貪瞋邪偽おほきゆえ、奸詐もゝはし身にみてり”、“悪性さらにやめがたし、こころは蛇蝎のごとくなり、修善も雑毒なるゆえに、虚仮の行とぞなずけたる”を現代的に表現したものではないでしょうか。パウロも「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」とロマ書の中で言っています。宗教は悟りすました神のような人間のためのものではない。それは、善人のためのものでさえもない、なんとも自分で自分の悪さ加減をどうしようもない、公表できぬ秘密がいっぱいある、ふがいない人間のためのものであることをあらためて、思ったことでした。



◎今月の言葉(2003年9月)

        
貪著せず


   本来不安無しと決定(けつじょう)して不安に遊びて
   貪著せず。
   本来妄想無しと決定して妄想に遊びて貪著せず。
    本来恐怖(くふ)無しと決定して恐怖に遊びて
   貪著せず。
   本来矛盾無しと決定して矛盾に遊びて貪著せず。

               
ー宮崎安右衛門著 「信仰生活の書」よりー

    
 宗教的な「悟り」の状態、あるいは心理状態というのは、本来、「不安」も「妄想」も「恐怖」も「矛盾」も無い状態になることなのでしょうか。しかし、もし、そのような状態になるなら、それは、もはや「人間」でなくなるというか、およそ人間味の無い、無味乾燥な「物」の状態になってしまうことではないでしょうか。そのような無味乾燥な状態は決して、私たちの望むべき状態ではないはずです。しかし、また、一方、「不安」「妄想」「恐怖」「矛盾」あるいは、もっといえば「生死」の問題からも解放されることを旨とするのも宗教の宗教たる所以であることも真実です。
 上記の各行の前半は、まさに、そういった、宗教の「旨」とするところを、述べているわけですが、同時に、後半の部分で、その、本来「無し」を旨とすることがらの中に「遊びて貪著せず」といっています。これは、普通の常識に照らしても「矛盾」であることに、違いありません。ふつうでいえば,これは「ごまかし」です。単なる言葉の遊びです。それでは、どうしてこの矛盾が、宗教的には成り立つのでしょうか。私は、そこに、大慈大悲に「生かされて生きる」人間存在の宗教的自覚があるからだと思います。立所不在の人間存在。大宇宙の時空の一点に、自らの意思でなく、何故か忽然と存在するようになった小さな自己。この小さな自己のよるべき所は、先月の宮崎のことばにいう、「大いなる真実の自己」によって生きるほかはないでしょう。惑い悩む「小さな自己」は、まさに宮崎のいう「大いなる真実の自己」に生かされて生きる存在ともいえます。上記の「大慈大悲」は、即ち「神」といってもいいでしょう。仏教的表現をとる、キリスト者「宮崎安右衛門」の真実が、ここにも表現されていることは間違いありません。




◎今月の言葉(2003年8月)

            自己発見

 宗教というものは神と人間との関係だ − と
定義されている。
然し自分は云ふ。
宗教こそは真実なる自己発見の道を示してくれるものだ。
宗教によって初めて自己を発見した自分なのだ。
その真実なる自分こそ久遠の如来だ。イエスだ。仏陀だ。
自分は
今その無限絶対の大生命に乗託し、一如になって新しく生活し始める。
 このことは自分ばかりであってはならない。人類全体が一人残 らず此の大自覚に目覚めねばならぬ。

   ー宮崎安右衛門著 「信仰生活の書」よりー
    


 宮崎安右衛門(1888〜1963)。名前から受ける印象は江戸時代以前の人のように思われるかもしれませんが、上記(  )内の生没年代のように明治,大正,昭和と生きた、現代人です。  文筆を業としましたが、世に受けて、盛大に富裕に過ごしたわけでもなく、5人の子供さんとともに貧窮のうちに、その日その日を過ごされた方のようです。したがってこの方に関する資料も少なく、通常の人名事典などにもなかなか見つけることが出来ませんでしたが、キリスト教神学校に学んだ人ですので、わずかに「キリスト教歴史大事典」などをひもとき、やっと、この方の経歴らしきものを見つけました。それらによりますと、
  《 福井県生まれ。別名「童安」と号し10才のとき小学校を中退、16歳で上京、百貨店勤務。失恋を契機に退職。煩悶と求道の日々を送るうち、福音書に示されたイエスの生き方に共鳴。東京神学社に学びキリスト教伝道に従事した。同時に良寛や桃水和尚にみられるような淡々とした生き方を尊敬、聖フランシスコを慕い、素朴な順礼の姿勢を保って清貧道を極めようとした。
著書に「乞食桃水(1920年)」「聖フランシス(1921)」「詩集 永遠の幼児(1921年)」「出家と聖貧(1922年)」「貧者道(1933年)」「信仰生活の書(1936年)」「良寛、桃水、草の詩(1949)」等々 》。
「信仰生活の書」などによりますと、とにかく、この人の生活は極貧をきわめ、その日、その日の米代にも事欠くときがあったようで、私のような真の自己に疎く、自信のないものには、とても真似が出来そうにはありません。とにかく子息5人をかかえた文筆生活は、生半可な事ではなかったようです。キリスト教のほか仏教にも造詣が深く、その、残された「ことば」には、深くひきつけられずにはおれません。今月は、彼の経歴を紹介させていただくぐらいにして、また、来月に、彼の透徹した宗教的ことばの数々を逍遥、探究していきたいと思います。




◎今月の言葉(2003年7月)

妙好人 浅原才市翁の詩
        
南無阿弥陀仏と才市翁


  やみが月になるこた(ことは)出来の(ぬ)
  月にてらされ、つきになる。
  さいちがほどけになるこたできの(ぬ)
  名号不思議にてらしとられて、
  なむあみだぶつ、なむあみだぶつ

        
ふたりづれ。
  ぼんぷ(凡夫)ふたりにかわ(皮)がある。
  みだ(弥陀)とわたしにかわわない。
  機法一体、なむあみだぶつ

  わしが、ねんぶつを、となゑるじゃない、
  ねんぶつの、ほをから、
  わしのこころにあたる、ねんぶつ
  なむあみだぶつ

  『さいちよ、われわ、さきの後生わ、
  どがなかや(どうなったか)。
  あかるうなうたかや(なったかや)』
  『いいや、まだ、あかるうなりません。
  やつぱりむかしの通りであります。』
  『それではつまらんでわ、ないかへ』
  『わしが後生わ、如来さんの、
  ゑゑよにして(よいようにして)、
  をうて(おいて)くださるでな、
  わたしやお手をあふせて(あわせて)、
  なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。』

    
−以上、鈴木大拙著「妙好人」より−


 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えると、古くさく、「縁起でもない」という雰囲気が現代社会には、まだ、ただよっているようです。ところが、才市翁の宗教的な明るさの根幹は、ひとえに「南無阿弥陀仏」にあることは、才市翁のいままでの詩をみていただければ、はっきりとわかると思います。翁は、ほとんどの彼の詩を「なむあみだぶつ」で結んでいるからです。われわれ凡夫がそのままでは、どこまでいっても凡夫そのものであり、暗闇でありますが、名号不思議にすくいとられ、「なむあみだぶつ」と一体にさせていただくことによって、はじめて真の明るさが与えられるのではないでしょうか。「南無阿弥陀仏」の意味とは、阿弥陀仏に帰依することであると、われわれ宗教的素人によく教えられることですが、才市翁の念仏には、そんな形ばかりの解釈をこえた、流れるように自然な念仏が溢れています。南無阿弥陀仏と一体になっている才市翁の一挙手一投足、一念一念が南無阿弥陀仏であり、大慈大悲に生かされて生きる明るさがそこにあるといえるのではないでしょうか。
 2月からつづけてまいりました、浅原才市翁の詩については、今月で一応の終わりとし、来月からは 大正、そして昭和の前期に、仏教,キリスト教にもとづく生き方を、鋭く、また詩情溢れる文章で説いた、詩人「宮崎安右衛門」さんのことばを味わってみたいと思っております。




◎今月の言葉(2003年6月)

妙好人 浅原才市翁の詩
        
とをりゆうのあんじん

        とをりゆう(当流=浄土真宗)のあんじん(安心)わ
        ゑゑのがでても、それをよろこぶじやない
        また、わるいのがでても、それをくやむじゃない
        ただあをいで(仰いで)、あたまをさげ、
            とをとむ(尊む)ばかり。

                   
うみのうしをも

        うみのうしをも、さしひきあるよ。
        わしのこころに、さすしをは、
        ざんぎ(慙愧)、くわんぎ(歓喜)の
           さしひきのしを。
        くわんぎのしをわ、さすしをで、
          ざんぎのしをわ、ひきしをで、
        ざんぎ、くわんぎの、さしひきのしを。
        これがたのしみ、なむあみだぶつ

           あさましとよろこびわ
           どうちも(どちらも)ひとつ、
             なむあみだぶつ

        
さいちがたのしみや

        さいちがたのしみや(楽しみは)、なにがもと。
        もをねんの(妄念の)くよくよがもと、
        これにできたが、なむあみだぶつ。
        そのけ(其故に)あなたらちでも(あなたたちでも)
        もをねんをみて、くやみなさんな。
        くよくよみて、くやむものわ、ばかのををばか。

           −以上、鈴木大拙著「妙好人」より−


 才市翁がいかに浄土真宗の根本思想、ひいては親鸞・法然の思想を明確に掴んでいたかは、最初の詩 、「とおりゆうのあんじんわ」に,にじみ出ているように思います。みずからにとって良い結果となっても、喜びすぎることはない、ましてや自らの力を誇ることもない。また日々の生活の中で悪い結果が出てきても、それを悔やんだり、自信を失ったり,ましてや他人のせいにしてひがむことはない、すべて如来大悲のおはからいである、ただ、仰いで、頭を下げ、生かされて生きる自らの生を尊ぶばかり、と大悲の広海に住む才市翁はいっています。ここには、仏教創始以来、長い間の、世界や日本のすぐれた先哲、善智識によって培われてきた教えが脈々と生きているように思います。
 ところで、いわゆる妙好人に対する批判として、体制支配に抵抗しない、従属型の人間を造るのだという思想がありますが、私は、そうは思いません。社会的批判は生の世界のみを対象にしているのに対して,才市翁のこの詩は、生死の世界に住む人のことばであろうと思うからです。深く広い宗教的世界の展開がここにあると思い、そこに次元の違いがあります。才市翁と同じ精神を持った人間であれば、必要であれば、世の不正に対して、敢然と立って、闘い、ひるむことはないでしょう。それは、かの一向一揆で、筵旗をたてて、体制権力と闘った人々が何よりも証明してくれています。そして才市精神はそれらのすべてに頭を下げ、生きていることに感謝するはずです。
 このように、自らにとって「ええのがでても」「わるいのがでても」、また、「ざんぎ」も「くわんぎ」もみな一つ、いずれも大慈大悲の尊いはからいであると、いただく才市翁の姿がここにあります。そして、才市翁は「もうねんのくよくよ」こそが、宗教的法悦のもとであるというのです。このようなすばらしい宗教的よろこびのもとになる「もをねんのくよくよ」をくやむ者は「ばかのををばか」というのです。まさに才市翁は、後世に生きるわれわれに向って、高らかにこの珠玉のことばを遺してくれていると思うのです。




◎今月の言葉(2003年5月)

妙好人 浅原才市翁の詩
        
(虚空一)

        ゑゑな 世界虚空が みなほとけ
        わしも そのなか なむあみだぶつ

         
(虚空二)

        これが世界のなむあみだぶつ
        これが虚空のなむあみだぶつ
        わしの世界も虚空もひとつ
        をやのこころのかたまりでできた

                
(虚空三)

      こんな、みなさん、もうたいないことであります。
                 (もったいない)
      なむあみだぶつさんの、わたしを佛になさる
      ことわ。
      あらゆる世界虚空が、みなほどけ
      この中に、この さいちの悪人が、こめてあること
      なむあみだぶつ

      
(虚空四)

        こくう(虚空)世界も、わたしも、じひも、
        みんな一つのなむあみだぶつ。

      
(虚空五)

        をやのこころわ、ふじきなこころ、
        こ(子)をたのしむをやのこころよ、
        をやのこころわ、こどもにくるよ。
        こどものこころわ、をやにいく、
        なむあみだぶにもつれられ。

        これが、をやのなむあみだぶつ、
        これが、わたしのなむあみだぶつ、
        これが、せかいのなむあみだぶつ、
        これが、こくう(虚空)のなむあみだぶつ。
        わしのせかいも、こくう(虚空)も、ひとつ
        をやのこころのかたまり(塊り)でできた、
        こころにをさめとられて、これがあんしん。
          −以上、鈴木大拙著「妙好人」より−


 才市翁のうたには 「虚空」 ということばがときどきでてきます。才市翁のいう「虚空」とは、私は、現代でいう「宇宙」のことではないかと思っています。
 今月は、才市翁のうたの中で、「こくう(虚空)」ということばが使われている
うた を5篇、集めてみました。
  これらのうたを味わって思うことは、才市翁が単にお経やお寺の法話だけに耳をかたむけていた、いわゆる江戸時代的「ありがたや」ではなく、夜空に輝く星々に感動し果て知らぬ大宇宙に存在の神秘を感受し、そこからも如来の無限の慈悲を感得していたのではないでしょうか。自らの存在への積極的な問いかけなしに、あれだけのすぐれた 宗教詩が創作できるはずがありません。
        「なむあみだぶつさんの、わたしを佛になさることわ。
        あらゆる世界虚空が、みなほどけ
        この中に、この さいちの悪人が、こめてあること
        なむあみだぶつ」
悪人を自覚するこの才市が、存在の神秘そのものであり、「みな ほどけ」である虚空世界に、こめられている。
このことを自覚し直感する才市。 そこには、単なる封建的「妙好人」の枠を超えた、現代人の姿を思い浮かべることができるのです。




◎今月の言葉(2003年4月)

妙好人 浅原才市翁の詩
        
(一)

      さいちこころを、あとからみれば、
      かひる(蛙)すが太に、ようにてをるよ
      まゑ(前)のてをつき、かをのいて(仰向いて)
      京け(教化)きけども、いつもぶるうと
      京けのみず(水)のなかにをることしらず。
      ありがたや、京けのみずいましられ(今知られ)
      京けのみずのしられたのわ
      ちしき(知識)によらい(如来)のごをんのおかげ、
      ごおんうれしや、なむあみだぶつ

      才一よい、うれしいか、ありがたいか。
      ありがたいときやありがたい、
      なつともないときやなつともない
      才市、なつともないときやどぎあすりやあ。
      どがあも仕様ないよ
      なむあみだぶと、どんぐり、へんぐりしているよ。
      今日も、来る日も、やーい、やーい。

                            
(二)

      さいちがごくらく、どこにある。
      心にみちて身にみちて、 
      なむあみだぶが、わしのごくらく。

      しゃばせかいわ、ここのこと、
      ごくらくせかいも、ここのこと、
      これわ、めのまくぎりを、ゆうこと。
          (目の幕切り、目の開閉の一瞬) 

      さいちやどこにねてをるか。
      しゃばの浄土にねてをるよ。
      をこされて、まいる、みだの浄土に。

          
(三)

      うきことに、ををた(逢うた)人なら、わかるぞな。
      うきことに、あわざるひとなら、わからんぞな。
      ためいきほど、つらいものわない。
      こころのやりばない、ためき(ためいき)、
      みだにとられて、なむあみだぶつ。
      なむあみだぶと申すばかりよ。

      ゆくたびも(幾度も)、むねをいためた、
      いまは六字にこころとられて。

         −以上、鈴木大拙著「妙好人」より−


 才市翁のうたを讃嘆して思うことは、いつも豊かな明るさに充ちているということです。ここにあげた(一)のうたなどには、才市翁の底抜けに明るい心の内を表すユーモアさえ感じられます。この明るさの源泉はどこにあるのでしょうか。それは、いうまでもなく、(二)のうたにもあるように、「しゃばせかいわ、ここのこと。ごくらくせかいも、ここのこと。」という才市翁の宗教的世界にあることは間違いないと思います。そして、この宗教的世界の感得はなにも難しいことではなく、目の“まくきり”の一瞬一瞬を如来大悲に“生かされて生きている”われわれの存在を感受することだと才市翁は説いています。さらに、この宗教的世界観は何によって感受することができるか、それをも、才市翁はわれわれに指し示してくれているように思います。(三)のうたを読めば、それは、“うきことにををた人なら、わかるぞな”というように、底抜けに明るい才市翁の宗教的境地も、それに出会うまでの、やりばのない“うきこと”の連続があり,それをすなおに受け取った才市翁のすぐれた宗教的感受性にあったのではないでしょうか。



◎今月の言葉(2003年3月)

妙好人 浅原才市翁の詩
         
(一)

     あさまし、あさまし、じやけん、京まん、あくさいち。
     じやけん、京まん、あくさいち。
     あさまし、じやけん、京まん、あくさいち。
     あさまし、あさまし、あくさいち。
     ひとのものわ、なんぼでも、ほしい。
     とうても(取っても)、とうても、ほしい、ほしい、
     ほしいのつの(角)がはゑ、
     あさまし、あさまし、あさまし、あさまし、
     じやけんものとわ、このさいちがことよ、
     このさいちにわ、ひとがをそれて(恐れて)をります、
     それに、ひとがしらんと、をもをて(思うて)、をります。

         
(二)

     ありがたいな、ごをん、をもゑば、みなごをん。
     「これ、さいち、なにがごをんか。」
     「へゑ、ごをんがありますよ。
     このさいちも、ごをんで、できました。
     きものも、ごをんで、できました。
     たべものも、ごをんで、できました。
     あしにはく、はきものも、ごをんで、できました。
     そのほか、せかいにあるもの、みなごをんで
     できました。
     ちやわん、はしまでも、ごをんで、できました。
     ひきば(仕事場)までも、ごをんで、できました。
     ことごとくみな、なむあみだぷつで、ござります。
     ごをん、うれしや、なむあみだぶつ。」



   今月は、才市翁の‘かな書き’の詩をできるだけ原文のまま、掲載しました。漢字など、まともに習わず、辛うじて表現できた、この才市翁の‘かな書き’にこもる深い味わい。現代はおろか、どのような時代の文法をも超越した表現の魅力は、もっともらしい、国語の解釈など要らないでしょう。
 (一)で、自らの‘あさましさ’をえぐる才市、それは、すべて人間の心をもった者が当然の帰結として味わわねばならない結論です。それは、誰でもない、これを読む、「私」を指してもいます。あさましさ以外の何物でもないこの自分。それに目覚めた才市翁には、しかしつぎの(二)の世界が待っています。そのような「自分」を、今、このように、生かさしめている大慈大悲。「きもの」も「たべもの」も「あしにはく、はきもの」、「ちゃわん、はし、ひきば」にいたるまでも、そして最後に「この‘さいち’」と、この「せかいにあるもの、みな」、すなわち自分も宇宙もみな、‘ごおん’でできている、という才市翁の宗教的真実に、私は、ただただ、合掌せずにはおれません。これは、まさに、才市翁のいう、「ことごとくみな、なむあみだぶつで、ござります」以外のなにものでもないと思うのです。
-詩の中の( )の補足はHP作成者 -




◎今月の言葉(2003年2月)

妙好人 浅原才市翁の詩
 鈴木大拙著「妙好人」によれば、浅原才市翁は次のように紹介されています。「才市は昭和7年(1932)に83歳で亡くなっている。島根県石見の国の小浜村の人。50歳頃までは船大工であったが、転じて履物屋となり、その製作と販売を兼ねてやるようになった。」
 今月から、ここに紹介させていただく、翁の詩は、下駄を作る仕事中に思いついたものを、そのときできるカンナ屑に書きとめ、あとで小学生が使う国語の帳面に書き写していたものだといわれています。深い浄土信仰からつむぎ出される翁の詩を拝読すると、なまじっかな宗教詩はとても作れないといつも思わされてしまいます。今月からしばらく、この宗教的天才詩人のことばを掲載させていただきたいと思います。なお、翁の詩には、普通の詩人のようにタイトルというものがなかったとおもいますので、いきなりの展開となります。(カンナくずに書きとめる詩に、タイトルなど"つまらぬもの"がつくはずがありません。)
 今月は、翁が「生死」をどのようにとらえていたのか、松田宗風氏著、「世紀末の革命者 法然」の中に出てくる、詩がありましたので、これを掲げたいと存じます。


才市や 何が幸せ
才市 死なんが幸せ
死なずに 親の極楽に参ること

わしが往生 あなたにあるよ
あなたの心は わしにある
これが楽しみ なむあみだぶつ

才市 今 息が切れたら どうするか
はいはい あなたの中で 切れまする
なむあみだぶつ なむあみだぶつ

一日一日 自然(じねん)の浄土に帰る
うれしや なむあみだぶつ なむあみだぶつ

死ぬること 味よてみましょう
死ぬるじゃのうて 生きること
南無阿弥陀仏に 生きること
なむあみだぶつ なむあみだぶつ

才市 今度 未来は なんで越す
わたしゃ 阿弥陀の 慈悲で越す
なむあみだぶつ なむあみだぶつ

死ぬるは 浮世のきまりなり
死なんは 浄土の きまりなり
これが楽しみ なむあみだぶつ



   なんと、すばらしい「死生観」でしょうか。いや、「死生観」などという生臭い言葉は、ここでは無用のもので、恥ずかしい限りです。ここには“いずれくる死”をかかえて生きるわれわれ誰もの、究極の落ち着くべき境地が語られていると思わずにはおれません。これは、単なる浄土たのみの、口先だけの、‘ありがたや’の空念仏ではない、翁が生きてきた、生涯の思索と苦悩の結論がこめられていると思います。また、これは、単に‘死’のみを考えてでたことばではなく、‘生’をとことん考えつめた結果の言葉でもあろうと思います。これこそ「生を明らめ、死を明らめ」た結果の、ことばでもあると思います。そういった意味で来月からは、日々生きるさまざまな中での才市翁の信仰の言葉を味わっていきたいと存じます。
- 詩の中の(じねん)の挿入はHP作成者 -




◎今月の言葉(2003年1月)

患難の恩化
 余がキリストを信ずるに至りしまでに余に臨みし患難はすべて神の刑罰であった。然れどもキリストを信ずると同時に余に取りては患難は恩恵と化したのである。其後に余に臨みし患難はすべて恩恵として臨んだのである。キリストは余に代りて余の受くべき刑罰を御自身に受け給ひしが故に、彼を信ずる余にもはや刑罰の臨みよう筈はないのである。患難は、同じ患難である、而かも不信者には刑罰の患難であって信者には恩恵の患難である。(大正4年11月)
患難と信仰
 患難に遭うてキリストに来る人がある。キリストに来たりて患難に遭う人がある。患難と信仰との間に深き関係のあるのは事実である。然し乍ら患難が前(さき)にして信仰が後になるは低き信仰である。信仰が前(さき)にして患難が後なるは高き信仰である。而して事実如何と云うに百中九十九までは患難に逐はれて之を免がれんための信仰であって、患難を醸すが如き信仰とて雨夜の星の如くに寥々たるものである。而して神の求め給う信仰の患難を慰められんための信仰に非ずして、患難を喚起(よびおこ)すほどなる信仰なることは言わずして明らかである。(大正4年11月)
内村鑑三全集(昭7年刊) 「所感」より


 今月は、「所感」篇の最終に近く、大正4年11月の「患難の恩化」と「患難と信仰」を載せることにいたしました。  今月まで、このページでは、内村鑑三の「患難」について4回の所感を載せてきました。当然ともいえるわけですが、明治33年から大正6年にいたる彼の「所感」のなかで、鑑三が「患難」について語っているどの場合にも、それが神の恩恵によるものであるという、ただ、そのことだけを語っています。よくもまあこれだけ同じことを何回も同じように語っているものだと、思わずにはおれないほど、その語り方はどの場合にも同じです。それでいて、それは読む者をして、尽きざる泉のように、その心を多彩に癒してくれます。そこに於いて鑑三が何回も確認しているのは神によって生かされている自分ということにほかなりません。そして、生涯にわたって神について語った彼ですが、やはり、患難に遇うたびに、自己の信仰を確認し、反芻し、神の恩寵を確認しなければおれなかったのでしょうか。私はかえって、そこに、我われと同じ人間、内村鑑三を見ることができ、ますます彼の語っていることばが真実であることを感ずることができます。そして、そのことばが、他に対して語っているのではなく、自らに対して語っていることであることも、われわれを引きつけてやまないところがあります。  私事にわたりますが、私は高校生の頃、角川文庫で「所感10年」を手にしたときが、内村鑑三との初めての出会いでした。そのときは、書いてあることが、なんとも非科学的で荒唐無稽なことが書き並べられているという感想をもっただけで、すぐに、石炭箱(当時大きな木箱としてありました。)のなかに放り込んだことを憶えています。その後、30歳近くになって、人並みに世間の風にももまれ、ある意味で大人となって時点で、ふと石炭箱の中の「所感10年」をもう一度、手にとって読んだところ、もうたちまち、そのとりこになってしまいました。それ以来、私の中における内村鑑三は、まったく変わらず、父のごとく存在しています。今後、死ぬまで、私における“内村鑑三”は変わることがないと確信できます。私における「所感10年」は、まさに命の書といってよいものであるといえます。以前に掲載させていただいた清沢満之とともに内村鑑三に出会えた幸せを、ひしひしと実感できます。内村鑑三〔文久元(1861)年生れ)、清沢満之〔文久3(1863)年生れ〕、一方は敬虔なるキリスト者、他方は真摯は親鸞教徒と、立場は違いますが、そのことばには多くの共通点があるように私には思えます。奇しくも、明治を間近にのぞむ、同時代の生れであることにも、なにか時代背景があるのでしょうか。  今月で「患難」にもとづく内村鑑三の言葉を終わりたいと存じます。来月からは、天才的宗教詩人「浅原才市翁」のことばを掲載させていただく予定でいます。どうぞ、本年もよろしくご厚誼の程、お願い申し上げます。
- HP作成者 -