★21世紀は前世紀までの物質中心、科学技術中心の考え方が見直される世紀といわれています。
★ところが、21世紀の13年目の今、この世界の情勢は決して穏やかでない深刻な状況を呈しつつあります。
★しかし、それなれば、なおのこと、今こそ、深い精神性をもったこれらのことばを、新しい世紀を築く糧としたいものです。



◎今月の言葉(2013年1月)

親鸞和讃23 高僧和讃3

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      

  本願円頓一乗(ほんがんえんどんいちじょう)
 逆悪(ぎゃくあく)摂すと信知して
 煩悩菩提体無二(ぼんのうぼだいたいむに)と
 すみやかにとくさとらしむ

『名畑応順師の通訳』
本願一乗の教法は
逆悪の者をも摂取すると信知して
浄土に往生する身となり、
煩悩即菩提と
速やかにさとらしめる

◎『左訓』
(左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする)
                             (名畑応順校注 親鸞和讃集 凡例より))
・ 円頓(えんどん):八万聖教のすべて少しも欠くることなきを円頓と申すなり
・煩悩菩提体無二(ぼんのうぼだいたいむに):煩悩菩提も一つみ(身または味)ぞとなり、二つなしとなり。

◎典拠
柏原祐義著「三帖和讃講義」によれば、この和讃の典拠は
曇鸞の浄土論註上巻の『天親菩薩の「浄土論」は蓋(けだ)し上衍(じょうえん)(大乗)の極致、不退の風航なるものなり』の意をやわらげられたとなっている。
すなわち現代語訳すれば『天親菩薩の浄土論はすなわち大乗の極致であり、速やかに不退の位に到る帆掛舟である』となる。
しかし、名畑応順師による「親鸞和讃集」のこの項目においては、『この一首は論註の要義を述べたものであって、語句として定まった典拠はなく、論注の全般にわたり、取意して造讃されている』として上記柏原師の"上衍の極致・・”の文は典拠文の一部としてしています。

【HP作成者感想】
 この和讃は大変難解な単語から始まります。すなわち“本願円頓一乗”です。これを上記左訓や、そのほかいろいろな書物にあたり、現代的に受取れることばとしては、「本願の教えは、八万聖教の教えのすべてをくまなく含んだ衆生済度の唯一無二の教法 」ということになるのでしょうか 。この唯一無二の教法である本願のおしえによってはじめて、逆悪の衆生(すなわち私のこと)も大いなるのちの海に摂取されるという仏のことばを素直に信ずれば、煩悩と菩提はもともと一体のもので煩悩すなわち菩提であることが、おのずとたちどころに知らされる。 訳はなんとかここまで漕ぎ着けたとして、さて、あらためて、『本願の信心によって煩悩菩提体無二と知らしめられる』とは如何なることなのでしょうか。これが納得できなければいくらわかりやすくと訳しても、まったくその真意は無明のままでありましょう。思いますに、煩悩も菩提もすべて弥陀によってあたえられたものとすればいかがでしょうか。すなわち、私たち衆生は煩悩が無ければたちまち生きていくことができません。やまいの煩い、世に対処するときの苦悩、死への恐怖、そのほか諸々の煩悩についても、もしそれがなければ、丁度息をせずに生きようとするようなものでたちまちこの世との縁は消えつきてしまうでしょう。すなわち煩悩も弥陀迴向のたまものとして考えてはいかがでしょうか。道元禅師は「悉有は仏性なり」と正法眼蔵「仏性の巻」で述べています。すなわち煩悩もそしてそれを超えて菩提の道にすすもうとする心も、すべて与えられたるもの。おなじ根源である「仏性」にそなわったもの、とすれば、「煩悩菩提体無二」であることはたちどころに受取れることになるのではないでしょうか。そうであってはじめて、私たちはのびのびと、そして明るく、そして道を間違えないように、この世に対処する気になるのではないでしょうか。  〔今月はこれで終わります。〕                         
                 
                           

◎今月の言葉(2013年2月)

親鸞和讃24 高僧和讃4

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      

(1)
無碍光(むげこう)の利益(りやく)より
威徳広大(いとくこうだい)の信をえて
かならず煩悩(ぼんのう)のこほりとけ
すなはち菩提(ぼだい)のみづとなる

(2)
罪障(ざいしょう)功徳(くどく)の體(たい)となる
こほり(氷)とみづ(水)のごとくにて
こほりおほき(多き)にみづおほし(多し)
さはり(障り)おほきに徳おほし

(3)
名号不思議の海水は
逆謗(ぎゃくほう)の屍體(しがい)もとゞまらず
衆悪(しゅあく)の萬川(ばんせん)帰しぬんれば
功徳のうしほ(潮)に一味(いちみ)なり

『名畑応順師の通訳』
(1)
無碍の光明も利益によって
他力の大信心を得、この信心によって
浄土に生れることになり
煩悩の惑(まど)いがそのまま転じて
菩提の智慧となる
(2)
罪障が功徳の本体となる。
それは罪障と功徳の関係は氷と水の如く一体である。
氷が多いので水が多い、
そのように、罪障が多いので功徳が多い。
(3)
本願名号の海には
屍骸の如き逆謗の人も廻心して
信心の行者となり、
その屍骸が残らない。
萬川が海に入って
同一の鹹味(かんみ)となる如く
諸悪が名号の海中に入ってしまうと
その功徳に一体化する

◎『左訓』
(左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする)
                             (名畑応順校注 親鸞和讃集 凡例より))
(1) には特にありません。
(2)
・ さはりおほきに徳おほし:悪業が多ければ功徳の多きなり
・ 徳:功徳となる
(3)
・逆謗:五逆、謗法
・屍骸:しにかばね
・衆悪の萬川:よろづのあくを、よろづの川にたとへたり
◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」による)
(1)曇鸞の『論註』下巻の「仏の光明は是れ智慧の相なり。此の光明は十方世界を照したまふに、障碍有ること無し。能く十方衆生の無明の黒闇を除くこと、日月珠光の空穴の中の闇を破するが如きにはあらざるなり。」によったもの。
(2)源信の『往生要集』中巻末の「貪欲は即ち是れ道なり、恚痴も亦た是くの如し。氷と水との性の異なる処にあらざるが如し。故に経に云く、煩悩と菩提とは躰ニなく、生死と涅槃とは異処にあらずと。」の文によられている。
(3)『論註』上巻の「仏の一切の種智は深広にして崖りなし、二乗雑善の中下の死屍を宿さず、之を海の如しと喩ふ」によられている。

【HP作成者感想】
 今月も曇鸞大師の和讃を掲載させていただきました。 親鸞聖人の三帖和讃における、曇鸞思想の占める割合は他に比べて多く、高僧和讃の三十四首に加えて浄土和讃における曇鸞の讃阿弥陀仏偈を典拠とする『讃阿弥陀仏偈和讃』を加えると、圧倒的に多いのがわかります。坂東性純師も、その著「NHK信心をうたう 親鸞和讃」において『曇鸞という方は、おそらく七高僧の中でも親鸞に最も大きく深い思想的影響を与えた人ではないかと思われます。』と述べておられます。そこで、今月も、この曇鸞思想の真髄を表す和讃三首について味あわせていただくことにしました。
 まず(1)の和讃ですが「無碍光の利益によって、威徳広大の信をいただければ、かならず煩悩の氷は即、菩提の水となる」というのです。これはどういうことでしょうか。一通り読んで「そんなものかな」とか、あるいは、わかったような風で「そうなんだよな」とつぶやいて思考停止することは、私にはできません。すなわち、この世的に考えますと煩悩が即、菩提となるということはとうてい考えられません。煩悩は死ぬまで煩悩であって、この世においては決して、それを消滅させるようなことはできません。それどころか、ふつうは煩悩が煩悩であることにすら気づかず、ただただ散乱した気分で、一生を過しているのではないでしょうか。しかし、多少なりとも仏教に関心のある人ならば、煩悩の氷が即、菩提の水となることに関心が湧かないはずがありません。どうして、そうなるのか。それを親鸞聖人はこの和讃で、「無碍光の利益より、威徳広大の信をえて」といわれています。仏性の根本からはたらく他力すなわち本願力によって、威徳広大、すなわち無上の信心をいただいてとあります。すなわち信ぜざらんとしても信じざるを得ない「絶対他力」の世界に気づかせていただいたその瞬間に、煩悩は煩悩のままであっても、しかしこれは仏の世界の賜物なのだと気ずかされるのではないでしょうか。当たり前だと普段思っているこの世そのものが当り前ではない、普段の思議を超えた仏性の世界なのだと、すくなくとも私は思えます。
 このことを考えますと自ずと(2)の和讃に進むことができます。「罪障が功徳の體となる」、普段の感覚ではとても納得できない事柄です。罪障も煩悩のなせること、この世的には罪障はやはり糾弾されねばなりません。しかし、仏の世界では煩悩が即、菩提であるならば、罪障の氷も、功徳の水となるのではないでしょうか。しかもこの和讃では、「こほりおほきにみづおほし、さはりおほきに徳おほし」といわれているように、罪障が多く大きいほど、仏の手によってそれが功徳に変われば、その功徳そのものも多く大きくなるというのです。まさにこの世の常識では捉えることのできない、仏のメッセージです。しかし、いうまでもありませんが、ここで注意しなければならないことは、このことはすべて仏性の世界のことがらであるということです。たとえば、この世の物欲にもとづく罪障が多ければ物質的な功徳があって、金持ちになったり、人を支配することができるようになるといったものでは決してないということは、あらためていうまでもありません。ほとけの世界の事柄なのです。具体的には心の世界の事柄なのです。こころに自らの罪障の深さ、大きさを感じ真剣に苦しめば苦しむほど、仏の世界でそれが菩提の水となることを真実いただくことができれば、その人の慙愧、懺悔の苦しみが大きいほど、功徳も大きく感じられるでしょう。しかしこれもこの世においては最後まで到達できない事柄かもしれません。ただ、念仏ということになるのでしょうか。
 そして(3)です。この和讃が前二首をうけての結論の和讃になるように私には思えます。このようにして、ぬぐいきれない罪業を抱えた衆生である私は、しかし、すべてが仏性であり、すべてが他力である名号不思議の大きな海の中に、多くの罪業の萬川とともに帰入すれば、そこは一面の大きないのちの海、功徳の潮の中であって、そこで永遠の大いなる命と一味となっているのではないでしょうか。    南無阿弥陀仏 南无阿弥陀仏                                                

〔今月はこれで終わります。〕

                                          
◎今月の言葉(2013年3月)

親鸞和讃25 高僧和讃5

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      

(1)
濁世(じょくせ)の起悪造罪(きあくぞうざい)
暴風駛雨(ぼうふうしう)にことならず
諸仏これらをあわれみて
すゝめて浄土に帰せしめり

(2)
一形悪(いちぎょうあく)をつくれども
専精(せんじょう)にこゝろをかけしめて
つねに念仏せしむれば
諸障自然(しょしょうじねん)にのぞこりぬ

(3)
縦令一生造悪(じゅうりょういっしょうぞうあく)
衆生引接(しゅじょういんじょう)のためにとて
称我名字(しょうがみょうじ)とがんじつつ
若不生者(にゃくふしょうじゃ)とちかひたり

『名畑応順師の通訳』
(1)
五濁悪世の衆生が悪心を起こし
罪業を造ることは
暴風駛雨のごとくである。
諸仏はこれらの濁悪の凡夫をあわれんで、
誘い勧めて弥陀の浄土の帰せしめた
(2)
一生悪業を造るけれども
専ら弥陀一仏に心をかけ奉って
常に念仏したてまつれば
もろもろの罪障は自然に除かれる。
(3)
たとい一生涯悪を造る衆生であっても
ひきよせて救わんがために
わが名号を称えよと願って
若しわが国に生れなければ
我は仏にならないと誓われた。

◎『左訓』
(左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする)
                             (名畑応順校注 親鸞和讃集 凡例より))
(1) ・起悪造罪:悪を起こし罪を造ること
  ・暴風駛雨:あらきかぜ、とき(疾き)あめ(雨)の如しとなり。
(2) ・専精に:専ら好みてといふ
  ・諸障:もろもろのさわり
(3) ・縦令(じゅうりょう):たとひ。
  ・引接(いんじょう):導き取る。取るといふは手に取るこゝろなり。
  ・称我名字と願じつゝ:わが名を称へよと願じ給へり。
  ・若不生者(にゃくふしょうじゃ)とちかひたり:若し生れずば仏にならじと誓ひ給へるなり
◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
(1)『安楽集』上巻の「若し起悪造罪を論ぜば、何ぞ暴風駛雨に異ならん。是を以て諸仏の大慈、浄土に勧帰せしめたまふ」による
(2)同じく『安楽集』上巻の「縦使(たとい)一形悪(いちぎょうあく)を造れども、但(ただ)能(よ)く意を繋(か)けて、専精(せんじょう)に常に能く念仏すれば、一切の諸障自然に消除して、定んで往生を得ん。」が典拠。
(3『)安楽集』上巻において『大無量寿経』を引いて「是故に大経に云く、若し衆生ありて、縦令(たとい)一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続して、我が名字を称せんに、若し生れずば、正覚を取らじと」。これは大経の第十八願の意を、観経の下下品(げげぼん)という最低の悪逆の根機を以て読みとったものである(名畑応順著「親鸞和讃」補注七一)。

【HP作成者感想】
 今月は道綽禅師を讃える和讃7首の内の最後の三首について、讃仰させていただきたいと思います。
 道綽禅師は仏教において「聖道門」と「浄土門」を分けられたことで有名です。周知の如く、道綽禅師は若い時代「涅槃宗」にあって、もっぱら『涅槃経』を深く学び、それを講ずることに専心しておられたのですが、48歳のときに既にその時より半世紀以上も前に曇鸞大師が生前活動しておられた玄忠寺を訪れ、はからずも村人が建てた石碑の文を拝して、この教えこそ、自らの生死出ずべき道を示されたものであると、ひとえに曇鸞大師の説く「浄土教」によられることになったとのことです。そして曇鸞大師の自力・他力の仏教観をさらにおしすすめ、仏教を「聖道門」と「浄土門」に大別し、自らは末法五濁の世にあって、「浄土門」による以外に道はないと以後の生涯をひとえに「浄土門」によって生きられ、『観無量寿経』を中心に浄土の思想を説く『安楽集』上下巻を著されました。ところで親鸞聖人が造られた道綽和讃を読み、その典拠となる「安楽集」の文言から、私が強く感じましたことは、禅師が仏教を「聖道門」「浄土門」に分けられたことよりも、いわゆる『観無量寿経』でいうところの下下品の衆生、すなわちこの末法五濁の世にある逆悪の衆生を救う法は『浄土門』をおいて他にはないということを、鮮明にうちだされたことにあるのではないでしょうか。この下下品の衆生が救済されることにこそ仏教の真髄があるのだということ。そしてそれは、まさしく浄土三部経にもとづく念仏一筋の仏教、すなわち曇鸞大師をはじめとする、それまでの浄土の祖師たちの教えであることを、まさに鮮明に打ち出されたのが道綽禅師ではないでしょうか。そしてこの思想が弟子の善導大師によってさらに精緻を極めて世の人々に広く流布されたのではないでしょうか。これはたとえば上記三首の和讃で、『観無量寿経』に基礎を置く自著の『安楽集』において、観経における下下品の救済を解くと同時に、『大経』の第十八願を引いて、最低の悪逆の根機の救済を第十八願を根拠として説かれています。 
 さてここで、何よりも落としてならないのは、最低の悪逆の根機とは現代社会において誰のことか、これはまさに私自身をおいて他にはありません。テレビを初めとするいろいろなメディアでもてはやす、グルメの数々、スーパーマーケットにいけば、赤々と店頭に並ぶ食肉、そして、数限りない魚、生有るものを貪り食うメタボの群れ。あるいはまた、もともと多くの動物植物の世界であった自然を、自らの貪欲のために壊しつくし、そこにある生あるものを追い出し、殺しつくすという事実、これを悪鬼といわずに、何をもって悪鬼というのでしょう。われわれは食わずにおれないではないか、これは天の配剤、自然の摂理なのだとみな心の底で思っているので平気な顔をしていますが、宗教的には悪逆の罪であることは、如何なる弁明をもってしても不可能でしょう。しかし、このような悪逆非道の存在を、他力迴向の立場から、大きないのちの海への導きとして念仏ひとつで摂取しようというのです。逆悪摂すとはこのことであり、この救済の論理はいかなる自力修行の立場からも不可能であり、通常の論理では絶対に救われない逆謗の存在が摂取されるのは、不可思議の仏の迴向の絶対他力の念仏を置いてほかにありえないことです。この道綽の悪逆摂すとの鮮明な宗教的提示は、その弟子善導にそのまま受け継がれ、さらには中国・日本の浄土教の大きな流れとして源信・法然・親鸞の思想のバックボーンとして我々現代人に伝わってきていることは、感謝し、讃嘆しつくしても、つくしきれない宗教的事実であることは論をまちません。                                              

〔今月はこれで終わります。〕

                                          
                           

◎今月の言葉(2013年4月)

親鸞和讃26 高僧和讃6

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      

(1)
大心海(だいしんかい)より化(くゑ)してこそ
善導和尚(ぜんどうくわしょう)とおはしけれ
末代濁世(まつだいじょくせ)のためにとて
十方諸仏に證(しょう)をこふ(請う)
(2)
善導大師(ぜんどうだいし)(しょう)をこひ(請い)
定散二心(じょうさんにしん)をひるがえし
貪瞋(とんじん)二河(にが)の譬喩(ひゆ)をとき(説き)
弘願(ぐがん)の信心守護せしむ
(3)
釈迦・弥陀は慈悲の父母(ぶも)
種種(しゅじゅ)善巧方便(ぜんげうほうべん)
われらが無上の信心を
発起(ほっき)せしめたまひけり

『名畑応順師の通訳』
(1)
大心海から化現(けげん)して
善導和尚となられた。
(観経の疏を作るにあたり)
末代濁世の疑難に対し、
十方諸仏の証明を請われた。
(2)
善導大師は諸仏の証明を請うて、
観経の疏(しょ)を造り
自力の定散二心を翻えして
弘願他力に入らせるよう、
二河の譬喩(ひゆ)を説いて
他力の信心を守護せられた
(3)
釈迦は慈父・弥陀は慈母として
種々に適切な方法を以て我々を導いて
我等が信心(仏の無上智慧の現われとしての)を
発起させ給うた。

◎『左訓』
(左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする)
                             (名畑応順校注 親鸞和讃集 凡例より))
(1) ・十方諸仏に證を請う:観経の義疏造らんとて十方諸仏に證を請ひ給ひたり。
(2) ・證をこひ(請い):十方諸仏に申し給はく、この観経義を造り候に証人になり給へと祈らせ給ひたり
  ・貪瞋:貪は女を愛し、男を愛し、瞋は怒り腹立つ
  ・守護せしむ:守はたとえば国の主となりてまもる
          護は国の主ならねども、すべて集まりてまもるなり
(3) ・発起:〔発〕ひらきおこす  〔起〕たておこす
       昔よりありしことをおこすを発といふ。今始めておこすを起といふ。
◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
(1)『西方往生略伝』に「善導和尚は、未だ氏族を詳(つまび)らかにせず。伝に曰く、阿弥陀仏の化身と。・・・後に法照大師あり、即ち善導の後身なり。」の文によったもので、また、選択集の下巻にも、「大唐の相伝に云く、善導はこれ弥陀の化身なり。」とあるのによっても知られる。
(2)これは『観経疏』一部の釈意によったもので、その中、二河譬は『散善義』に「今更に行者の為に、一の譬喩を説きて、信心を守護して、以て外邪異見の難を防がん。何をか是れなるや。譬へば、人有りて西に向ひて行かんと欲するに、百千の里ならん。忽然として中路に見れば二河有り。一には是れ火の河南に在り、二には是れ水の河 北に在り。」とあるによったもの。
(3)これは『般舟讃』に「釈迦如来は実に是れ慈悲の父母なり。種々の方便をもって我等が無上の信心を発起せしめたまふ」によったもの。


【HP作成者感想】
 いよいよ、親鸞聖人の造られた高僧和讃の内、善導大師讃仰和讃に入りました。本日はこの善導讃26首の内、標掲の3首を掲載させていただきました。善導大師はよく知られているとおり、生きて道綽禅師の教えに接しられた方として、道綽禅師の教えを忠実に受け継ぎながら、更に鮮明に凡夫救済の思想を打ち出された方とうけたまわっています。まず標掲3首の内の第(1)首において、親鸞聖人は、善導大師が大心海より現れた弥陀の化身であるとする確固たる思いを述べられ、そして更に末代濁世のために十方諸仏に證を請われたとうたわれています。更に標掲第(2)首でも、まず第1句に“善導大師、證をこひ(請い)”となっています。わたしはここが大変気になりました。善導大師といえばまことに身を処すること自己に厳しく、都の人々はいずれもその高徳を慕ってその教化を蒙らんとして門前常に市をなしたほどの名声があった人。どうしてこのように善導讃で二度までも“證を請う”という表現がなされているのか・・・。実は善導大師が證を請われたのは、自らが著された『観無量寿経疏』の真実を諸仏に證明していただくためのものであったとのことですが、どうしてこのように『観無量寿経疏』の正しさを諸仏の證を得てまで世間に示さなければならなかったのかということです。思えば当時、すでに道綽禅師の浄土教解釈があったとはいっても、やはり聖道門の仏教は依然として多数派であり、近い過去には慧遠、智顗や吉蔵など聖道門のすぐれた学僧たちもいて、その影響は計り知れず大きなものであったことがうかがえます。そして善導はそれら大家の観無量寿経の解釈を真っ向から批判する言論を観無量寿経疏の中で展開しようとしていたのです。すなわち、聖道門の大家たちが観無量寿経を仏教に素養のある、ある意味で財・智ともに豊な人々のためのものとし、韋提希夫人なども聖者の仲間として扱うという見方をしていたのに対して、善導は真っ向から反対し、観無量寿経は最下の凡夫のためのもの、最下の凡夫が救われないような仏教はおよそ価値がないこと、韋提希夫人なども聖者ではなく最下の凡夫として真っ先に救いの対象になる存在であることなど、およそ、それまでの聖道門の大家が及びも付かない思想の下に論陣をはったのが善導の『観無量寿経疏』であってみれば、伝統的な聖道門の仏教者からの批判の矢面にたつことは、新進の仏教者としての善導には痛いほど分かっていたことではないでしょうか。わたしはそれらの大きな仏教界の圧力に対抗するためにも、善導は必死の覚悟で“諸仏の證を得て”までも、みずからの思想の正しさを示さなければならなかったのではないでしょうか。だから、この「諸仏に證を請う」という行動jは、自著の『観無量寿経』の値打ちをあげることなどでは決してなく、そこには切羽詰った新進の仏教者としての必死の行動があったのではないかと思うのです。ここにこそ、法然上人が、それまでの仏教遍歴を投げ打って、遍(ひと)えに凡夫救済の教えに身を投じた原因があるのだと思います。そしてここで更に勝手な想像をめぐらせば、有名な『二河白道の譬え』においても、火の河、水の河が衆生の苛烈な煩悩の有様を現す譬えであることはいうまでもないとして、一人荒野を、だれの支援もなく浄土を目指して行く旅人は善導自身であり、そして後に迫る群賊・悪獣は、まさに聖道門の思想家たちのおおきな批判的圧力ではなかったのか、だからこそ彼らは孤独でだれひとり助ける人のない旅人にたいしてこっちの群賊の中に帰ってこいと引き戻そうとする。その中で旅人はそういった圧力や誘惑に抗して自らの煩悩を表わす火の河・水の河の恐怖におののきながら、その間の一本の細い白道を浄土に向かって進もうとします。そのときこちらの岸(此岸)から浄土を指し示して、恐れずに浄土に向かって進めよと導く釈迦如来の姿と声、そして対岸の浄土を見ればそこには、観音・勢至を脇侍とし、安んじて来たれと手を差し伸べる弥陀の姿。この二尊の導きにひとえに身を託し、火と水の煩悩の中を細い白道を伝って、遂に浄土にたどりつくという旅人はまさに善導自身に他ならないと考えるのです。そして、この釈迦・弥陀の二尊のすがたこそ、わたしは標掲第(3)首の“釈迦・弥陀は慈悲の父母”ではじまる和讃において、まことに調和した釈尊と阿弥陀仏の姿を拝することができるように思うのです。                                             

〔今月はこれで終わります。〕

                                          
                           

 
◎今月の言葉(2013年5月)

親鸞和讃27 高僧和讃7

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      

(1)
煩悩(ぼんのう)にまなこさへられて
摂取(せっしゅ)の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身(み)をてらすなり

(2)
極悪深重(ごくあくじんじゅ)の衆生は
他の方便さらになし
ひとへに弥陀を称じてぞ
浄土にむまるとのべたまふ

(3)〔正信偈より〕
極重悪人唯称仏
我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見
大悲無倦常照我

『名畑応順師の通訳』
(1)
煩悩にさまたげられて、
凡眼にはその光明をみることができないけれども
仏の大悲は倦み疲れることなく、
常にわが身を照らすのである。
(2)
極重の悪人である我々は、
他の善行や他の仏菩薩の力で救われる方法は
さらにない。
ただ弥陀の名号を称えて
浄土に生まれることができると仰せられる。
(観経の帰結を述べた往生要集の要文によって
讃詠したもの。)

(3)〔正信偈より 金子大栄師訳〕)
極重の悪人は唯(ただ)仏を称すべし
我も亦(また)彼(か)の摂取の中に在れども
煩悩 眼(まなこ)を障(さ)へて見たてまつらずと雖も
大悲 倦(ものう)きことなくして
常に我を照らしたまふといへり

◎『左訓』
(左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする)
                             (名畑応順校注 親鸞和讃集 凡例より))
(1) ・ものうきことゝいふは、怠り捨つるこゝろなしとなり
(2) ・他の方便さらになし:余の善、余の仏菩薩の方便にては、
    生死出でがたしとなり。

◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
(1)往生要集中巻の「我亦在彼摂取之中煩悩障眼雖見、大悲无惓常照我身
  高木昭良師和訳「我亦(ま)た彼(か)の摂取の中に在れども、煩悩 眼(まなこ)を障(さ)へて、見たてまつるに能(あた)はずと雖ども、大悲 倦(ものう)きことなくして、常に我が身を照らしたまふ」によられた。
(2)往生要集下巻の「極重悪人无他方便、唯称念仏極楽
  高木良昭師訳「極重の悪人は他の方便なし、唯(た)だ仏を称念して、極楽に生ずることを得(う)と」
 によられた。
(3)正信偈の一文ですが、これももちろん上記(1)、(2)の往生要集の文からとられているものと考えます。

【HP作成者感想】
 源信和尚を讃嘆する和讃にはいりましたが、やはりここでは何をおいても上の(1)、(2)の和讃を揚げたいとおもいます。そして同時に全く同じ意味合いの正信偈からの(3)の四句も揚げさせていただきました。 いずれも出典は源信和尚の『往生要集』です。あえて私といわずに我々といいますが、我々は佛の眼からみれば、どう考えても極重悪人なのではないでしょうか。人間社会での行いはもとより、他の動植物に対する殺戮を思い合わせると仏の眼でなくとも、普通に考えても、そう思わずにはいられません。動物が生きていくための食物連鎖は天の配剤ということになるでしょうが、こと人間の所業をみるかぎり、ただ単に儲かる儲からないのみの経済活動の観点だけから行っている人間の他の動植物への殺戮は限度を越えています。そして、真っ先にこの私がその殺戮にかかわっている。いかに多くの動植物が人間の文化という所業の為に絶滅したでしょうか。このような極重悪人はまさに地獄行き確定としかいいようがありません。この極重悪人が念仏ひとつで救われるというのです。これはまさに有り得ない不思議というべきでしょう。しかしその答えは(1)、(2)の和讃、(3)の正信偈の4句の中にあります。『我亦在彼摂取中』だからだと思います。この限りなく極悪の私も弥陀の摂取の中にあるのです。煩悩の眼は極度にかすんでいてそのことは見えませんが、大悲はもの倦(う)きことなく、常に私を摂取しておられる。だから大悲摂取の中で極楽ですくわれるかもしれませんし、たとえそれが地獄であっても、地獄の中で救われているのではないでしょうか。                                           

〔今月はこれで終わります。〕

                                          
                           

◎今月の言葉(2013年6月)

親鸞和讃28 高僧和讃8

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      

(1)
智慧光(ちえこう)のちからより
本師源空(ほんじげんく)あらはれて
浄土真宗をひらきつゝ
選擇本願(せんじゃくほんがん)のべたまふ

(2)
曠劫多生(こうごうたしょう)のあひだにも
出離(しゅつり)の強縁(ごうえん)しらざりき
本師源空いまさずは
このたびむなしくすぎなまし

(3)
源空(げんくう)勢至(せいし)と示現(じげん)
あるひは弥陀と顕現(けんげん)
上皇群臣(じょうこうぐんしん)尊敬(そんぎょう)
京夷(きょうい)庶民(しょみん)欽迎(きんごう)

(4)
阿弥陀如来化(け)してこそ
本師源空としめしけれ
化縁(けえん)すでにつきぬれば
浄土にかへりたまひにき

『名畑応順師の通訳』
(1)
弥陀の智慧を司る勢至菩薩の智慧力から
源空聖人がこの世に現われて、
浄土真宗を開いて
選擇本願の念仏を宣布せられた。
(2)
久遠劫以来、多生の間にも
生死を離れる強縁である弥陀の本願を知らなかった。
若し本師源空が居られなかったならば
この生涯も空しく過ぎたであろう。
(3)
源空は生存中に
その本身の勢至菩薩の姿を示し、
あるいは弥陀の姿に現われ給うた。
天子や公卿大臣らが共に尊敬(そんぎょう)し、
京や田舎の万民が皆、敬い仰ぎ奉った
(4)
阿弥陀如来が変化(へんげ)して
源空聖人と現われられた。
教化の縁が尽きたので
浄土に還り給うた。
◎『左訓』
(左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする)
                             (名畑応順校注 親鸞和讃集 凡例より))
(1) ・特にありません。
(2) ・出離:出ではなる。    強縁:強い縁。
(3) ・示現し:しめしあらはしたまふ   ・顕現す:あらわるゝなり。
   ・京夷庶民欽仰す:みやこ、えびす、もろもろの民、うやまひ仰ぐなり。
(4) ・特にありません。

◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
 上記4首の和讃ともに特に出拠とされる文として適当なものはなく、親鸞聖人が京に帰られてから法然聖人の最晩年について伝え聞かれた事柄をもとにつくられたのだけれども、いずれにしても親鸞聖人の源空聖人にたいする尋常でない尊仰の念によってつくられたと見るべき(HP作成者)。

【HP作成者感想】
 上記4首の和讃のどれをとっても、親鸞聖人の法然聖人に対する尋常でないの尊仰の念を見てとることができます。たとえば第1首では親鸞聖人にとって源空聖人すなわち法然聖人は仏の智慧光によって衆生を救済するためにこの世にあらわれたと述べています。法然聖人は浄土真宗の教え(これは後の教団としての浄土真宗ではなく、あくまでも法然の教えを真実の浄土教の教え、すなわち「浄土真宗」と呼んだ)をこの日本に伝えるため仏の世界からこの世に遣わされた人として讃仰しておられるのです。この思いは第(3)、第(4)の和讃においても、まったく同じです。第(4)の和讃は法然聖人が遷化されたことをうたっていますが、ここでは阿弥陀如来が法然聖人としてこの世にこられたのだとまで、うたわれています。
 それでは親鸞聖人はどうして法然聖人をこのようにまで尊仰できたのでしょうか。今回はこのことを中心に考えてみたいと思います。このことはやはり、親鸞聖人の生涯、とりわけ比叡山での二十有余年の生き方、そして法然聖人のもとへ馳せ参じた経緯と切り離しては考えられません。比叡山で過された青年期においては仏道修行に打ち込み、生死出ずべき道を究めようと純粋に精進されたに違いはありません。しかし、堂僧として献身念仏修行に打ち込みながら求めても求めても、自らの湧き出るような煩悩に打ち勝つことができない、そして生死出ずべき道とはおよそかけ離れた比叡山の意外な世俗性、そのような事柄に底知れない深く暗い絶望を味わっておられたのではないでしょうか。そしてこのときに聞こえてきたのが吉水における法然聖人のただならぬ声望(これには人々の讃仰の思いもあれば強い批判を込めた非難もあったでしょう)、親鸞聖人はここに強く引き付けられる心をもちながら、やはり、法然聖人のもとへ簡単に馳せ参じることに対する大きな躊躇もあったはずです。そのような経緯から六角堂における百日を目指した参籠に、はたして自分はいかにすべきかを問われたのではないでしょうか。九十五日目に聖徳太子の示現があり、遂に法然聖人の膝下へ“生死出ずべき道”を問わんがために参じることをきめられたのです。しかし、恵信尼文書にもありますように、それでも更に百日照る日も降る日も大風の日も法然聖人のもとへ通われ、その全人格にふれようとされたのでしょう。そして二十九歳にして決然と法然聖人の門下となられます。この煩悩のかたまりのような自分に生死出ずべき道を指し示してくれたのは、自らを最下の凡夫と自覚して、それでいて、そこに浄土への道を開かれた法然聖人以外にはないことを生涯にわたって、こころに刻まれたのでしょう。このことを上記第(2)の和讃がまさに脈々と物語っています。この法然聖人という方が居られなければ、自分は“生死出ずべき”道があることを知らず、空しく死んでいかねばならなかったであろう。このことはまさに、親鸞聖人にとって法然聖人が阿弥陀如来そのものとしての存在であったということができるのではにでしょうか。
 法然聖人の語られた言葉には、まことにほのぼのとした大らかな受け応えが、法然聖人のことばを集めた『一百四十五箇条問答』にもでています。例えば
・「お酒を飲むということは、やはり罪になるのでしょうか。」との問いに対して「本当は飲むべきではありませんが、この世のならいでもあります。」とこたえられたり
・「生まれて100日以内の赤ん坊は、けがれているのでお寺などにお参りしてはいけないと言いますが、どうなのでしょう。」の問いに対して
 「 さしさわりはありません。なにも汚いものがついているわけではありません。それに汚いといえば、赤ん坊に限ったことではないでしょう。」
まことに大らかな、しかも、この世のことに対して科学的・合理的ともいえる判断を示して的確に答えておられる。
あるいは、さらにユーモアさえも感じられるおことばとして、トイレで念仏をしておられる上人にたいして「不浄なところで念仏されるのはいかがなものでしょう」といささかたしなめ気味に言った弟子のことばに
・「不浄にて 申す念仏の 咎(とが)あらば 召し籠めよかし 弥陀の浄土へ
とお答えになったというエピソードなど、その宗教性のたぐいまれなる高さから発せられる悠揚せまらぬことばの数々など、このような法然聖人の人となりも、親鸞聖人が人間的にも、こころから尊仰し、恵信尼の手紙にもありますように「法然上人のいらっしゃるところには、 人が何といおうと、 たとえ地獄へ堕ちるに違いないといわれようとも、 わたしはこれまで何度も生れ変り死に変りして迷い続けてきた身であるから、 どこへでもついて行きます」 ということばになったのではないでしょうか。
                                      

〔今月はこれで終わります。〕

                                          
                           

◎今月の言葉(2013年7月)

親鸞和讃29 高僧和讃最後の1首

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      


南無阿弥陀仏をとけるには
衆善(しゅぜん)海水のごとくなり
かの清浄(しょうじょう)の善 身にえたり
ひとしく衆生(しゅじょう)に迴向(えこう)せん

『名畑応順師の通訳』
経釈に名号の功徳を説き述べてあるには、
もろもろの善根の広大無辺なことは海水の如くである。
いま彼の名号の清浄の善をわが身に得た。
これを平等に衆生に与えよう。
◎『左訓』
左訓は特にありません。
◎典拠(いずれも柏原祐義師著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
 龍樹菩薩の『十二礼』の最後の四句「我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水 所獲善根清浄者 回施衆生生彼国」によったもので
 和訳すれば「我(われ)(か)の尊(そん)の功徳(くどく)のことを説くに、衆善無辺(しゅぜんむへん)にして海水の如し、獲(う)るところの善根清浄(ぜんごんしょうじょう)なれば、衆生に迴施(えせ)して、彼(か)の国に生ぜしめん。」によったもの。
【HP作成者感想】
 今月は高僧和讃最後の一首、上記の和讃を味あわせていただきます。
 まず、「南無阿弥陀仏をとけるには」において「とけるには」とは漢字をあてはめますと「説けるには」ということでしょう。随って、私流にこの和讃を味あわせていただきますと「南無阿弥陀仏の深い意味合いを説くならば、その功徳は大海原の海水の如く無限である。そして、親鸞はこの無限の功徳を今まさに、この身にいただいた。この上は、この功徳をひとしく人々に回向せずにおれようか」とでも訳せるでしょうか。この和讃は典拠にありますように龍樹菩薩の『十二礼』の偈文からとられたものだとのことですが、しかし、いまやそのような典拠を超えて、親鸞聖人は自らの言葉としてわたしたちに語りかけておられます。『かの清浄の善身にえたり』すなわち『南無阿弥陀仏の広大な功徳を、すべてこの身にいただいたのだ』と親鸞聖人は述べておられるのです。何とすばらしい無上の自信なのでしょう。そうなんです、自信なのです。自信などという言葉を他力の宗教において使うべきでないとか、どうのとかいう場面ではないとおもいます。大いなる生命の中にある大いなる生命自身の信念(信のこころ)なのであり、これはもう親鸞聖人をも超えて南無阿弥陀仏の自信といっていいと思うのです。この自らの身にいただいた広大な功徳を、どうして衆生に回向せずにおれようかということではないでしょうか。わたしはこの和讃を拝読するたびに、大海原に向かって胸を張って語りかけておられる親鸞聖人のイメージが浮かぶのです。そしてこの大海原とは全ての衆生であり、大いなる生命であり、親鸞聖人ご自身の生涯でもあると思うのです。
                        

〔今月はこれで終わります。〕

                                         

◎今月の言葉(2013年8月)

親鸞和讃30 正像末夢告讃

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      


康元二歳(こうげんにさい丁巳(ひのとのみ)
二月九夜
(にがつここぬかのよ)寅時(とらのとき)
夢告云
(ゆめにつげていわく)


弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にて
無上覚(むじょうかく)をばさとるなり

『名畑応順師の通訳』
弥陀の本願を信ぜよ。
本願信ずる人はすべて仏の心に摂(おさ)めとられる利益(りやく)によって
無上の仏道をさとるのである
◎『左訓』
左訓は特にありません。
◎名畑応順師註釈
 摂取不捨:おさめ取って捨てない。
 無上覚:梵語、菩提の訳→仏のさとり。
◎典拠(いずれも柏原祐義師著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
 これは夢のお告げをそのまま記述されたものである(柏原祐義師)。
【HP作成者感想】
 今月から『正像末浄土和讃』に入りますが、この和讃はその劈頭、後に続く和讃とは別して『夢告讃』としてかかげられたもので、親鸞聖人85歳の作です。康元二年といえば、ご消息において
実子慈信房善鸞を義絶された康元元年5月から1年も経過していない時季です。親鸞聖人が80歳になられたころから、関東の同行のあいだで造悪無礙など、親鸞聖人の真実の教えに背く異義がひろまって、聖人がおられた京都の方にも、その様子が伝えられていました。聖人も、心労ただならぬものがあったために、実子の善鸞を関東に赴かせ、正しい信心に立ち返らせようとされたのですが、ご消息によるとその善鸞自身が功を急いだのか、とんでもない邪義を喧伝し、更には親鸞聖人が信頼する同行の指導者をも鎌倉幕府に訴えたりしたため、関東の同行の間で、収拾がつかない混乱となり、京都の親鸞聖人のところへも、いったい聖人の真実の教えはどうなっているのだといった深刻な質問が来るようになった、これは歎異抄第二条の緊迫した親鸞聖人の発言を見ても分かるところです。最終的にやむなく聖人は実子善鸞を義絶しなければならないことになった。この時から一年も経たない時期がこの夢告和讃が作られた康元二年二月ということになります。この間にも、『西方指南鈔』を写されたり、自身が作られた『唯信鈔文意』を写されたりといった強靭な宗教活動は続けておられますが、なんといっても、ここ数年の関東の同行たちの信心の混乱は、聖人をして重苦しい心理状態に沈ませていたことは否めません。聖人が『西方指南鈔』を写されたり、自著の『唯信鈔文意』を写されたりしたのも、師の法然聖人の教えを再度反芻し自らの過ぎ来たった信心の歴程が正しかったかどうかといったことまで深刻に振り返っておられたのかもしれません。わたしの貧しい想像かもしれませんが、どうしても、このように思ってしまうのです。そのような時に告げられたのがこの康元二年二月九日の夢告であったのです。
 この夢告が法然聖人によるものか、聖徳太子によるものか、あるいは弥陀ご自身のお告げだったのかは分かりませんが、聖人のよろこびはまことに無上のものであったはずです。やはり自分の生涯かけて同行たちと共に生きてきたこの信心の道はまちがっていなかったのだ、本願を信ずるものはみな、弥陀の摂取不捨の利益によって無上のさとりにいたるのだというこの上なき確信をえられたのではないでしょうか。そして更に、これら一連の事柄が、正嘉二年、聖人86歳9月の『正像末浄土和讃』完成へのエネルギーとなったのではないでしょうか。
                        

〔今月はこれで終わります。〕

                                         

◎今月の言葉(2013年9月)

親鸞和讃31 正像末和讃1

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

>

                                                      


(1)
釈迦如来(しゃかにょらい)かくれましまして
二千余年になりたまふ
正像(しょうぞう)の二時はおはりにき
如来の遺弟悲泣(ひきゅう)せよ

(2)
末法五濁(まっぽうごじょく)の有情(うじょう)の
行證(ぎょうしょう)かなはぬときなれば
釈迦の遺法(ゆいほう)ことごとく
龍宮(りゅうぐ)にいりたまひにき

(3)
正像末(しょうぞうまつ)の三時には
弥陀の本願ひろまれり
像季末法(ぞうきまっぽう)のこの世には
諸善(しょぜん)龍宮にいりたまふ

『名畑応順師の通訳』
(1)
釈尊が入滅されてから、二千余年を経過した。
正法・像法の時代は既に終った。
時代は既に末法に入っている。
末世に生れた如来の遺弟は悲泣すべきである。
(2)
末法五濁の世の人間には
修行もさとりも叶わない時であるから、
釈尊の遺された教法も
みなこの世から隠れて
竜王の宮に入ってしまわれた。
(3)
正・像・末の三時期に弥陀の本願は弘まった。
像法の末期の時代から末法の今の世には、
釈迦の遺法たる諸善は地を払って
竜王の宮にかくれ給う。

◎『左訓』
(1) 如来の遺弟悲泣せよ:釈尊の御弟子、かなしみ泣くべしとなり
(2) 遺法:のこりのみのりなり
    龍宮にいりたまひにき:龍王の都へ入り給ふなり
(3) 正像末の三時には:正法・像法・末法のみとき
    像季末法:像法の末なり
◎名畑応順師註釈
 (1)正像の二時:釈尊の滅後五百年(又は千年)を正法、次の千年を像法(像は似るの意)、次の万年を末法という。正法には教・行・証が備わり、像法には教・行があって、正法に似ているが、証(さとり)を得る者がなく、末法には教のみがあって、行・証を欠く。
 如来の遺弟:釈尊滅後の弟子。
 (2)有情:梵語で衆生のこと。本来すべての生類をいう。
   行証:修行と証果
 (3)像季:像法の末期
   諸善:自力で覚る釈迦のみ法(のり)

◎典拠(いずれも柏原祐義師著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
 (1)安楽集下巻の「経の住滅を弁ぜば、謂(いわ)く、釈迦牟尼仏一代、正法五百年、像法一千年、末法一万年には、衆生滅し尽き、読経悉く滅せん」の文
 (2)上記安楽集の文および同じく安楽集上巻の「我が末法の時の中に、億々の衆生、行を起こし道を修せんに、未だ一人も得るもの有らず。当今は末法にして、現に是れ五濁悪世なり」の文
 (3)同じく安楽集上巻の「大集月蔵経に云く、仏滅度の後の第一の五百年には、我が諸々の弟子、慧を学ぶこと堅固を得ん。第二の五百年には定(じょう)を学ぶこと堅固を得ん。第三の五百年には、多聞、読誦を学ぶこと堅固を得ん。第四の五百年には、塔寺を造立(ぞうりゅう)し、福を修し、懺悔すること堅固を得ん。第五の五百年には、白法隠滞(びゃくほうおんたい)して、多く諍訟(じょうしょう)有らん。」によったもの。
【HP作成者感想】
 親鸞聖人は正像末和讃を正嘉2年、86歳の秋に著しておられます。86歳にして750年後の現代の私達の心をむずと掴む教えを見事に遺しておられるのです。何という大きなエネルギーなのでしょうか。これこそ弥陀の本願力の顕われそのものではないでしょうか。
 上記三首の和讃を味わってみますに、まず第一首(1)で聖人は釈尊に対するこよなき尊崇の念と、そしてその釈尊がかくれまして二千余年後の末法の時代を嘆く心が伝わってきます。
 そして第二首目(2)では、このような末法の時代には、尊崇する釈尊の教えであっても、時代の経過は如何ともし難く、大集経にとかれているように、遺法による正しい修行を行なう者も、またそれによってこよなき悟りの境地に至る者もなく、まさに釈尊の遺法はことごとく功徳を顕さなくなり、いわゆる龍宮に入ってしまったことを哀惜の念を持って記しておられます。
 しかし、一方、聖人が所依の経典とされる大無量寿経の弥陀の本願は今や、ますます衆生救済の力を発揮してひとびとの間に力強く広まっている。第三首目(3)の和讃ではこのように、こよなき喜びと共に詠っておられます。
 ところが、私はここで一つ大きな疑問にぶちあたります。釈尊の遺法はことごとく龍宮にはいってしまったけれども、大無量寿経の説く弥陀の本願はますます盛んであるというのです。しかし、そもそも大無量寿経を読んでみますとすぐにわかりますが、この経こそ釈尊が上足の弟子や菩薩、そして親しく弟子阿難に対して説いておられるのではないのか。このように上下巻を最後まで釈尊が説いておられるおられる大無量寿経を親鸞聖人はどうして釈尊の遺教の中に入れられなかったのかということです。これについて、下記にいろいろと愚考をめぐらせてみました。
・まず考えましたのは、大無量寿経下巻の最後のあたり(本願寺出版発行 浄土真宗聖典註釈版第二版の【47】)に「当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもって哀愍して、特に此の経(大無量寿経)を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありて、この経に値(もうあ)うものは、意(こころ)の所願に随ひてみな得度すべし」とあるので、此の大無量寿経だけは末法の時代にも残ったのかということです。しかし、これも「釈迦の遺法ことごとく龍宮に・・」ということですと、“ことごとく”とは残らずすべてということですから、釈尊の説かれている大無量寿経も龍宮に入ってしまうということとなります。
・次に、正信偈に「如来(釈尊)正意興出世 唯説弥陀本願海」とあります。釈尊が世にでられたのは唯々弥陀の本願をお説きになるためであった。これも釈尊と弥陀の本願との関係をより直接に述べてありますが、これとても上記の私の疑問を完全に解消するものではありません。やはり説かれているのは釈尊であって他の遺経と同様に消え失せるということになります。。
・また、同行の方から教えていただいたことですが、歎異抄第二条において、関東の弟子達との緊迫したやりとりの中で「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず、 仏説まことにおわしまさば善導の御釈虚言下まふべからず・・」という聖人のことばを読めば弥陀の本願を真っ先に置き、その次に、釈尊の説教が置かれていることからも、大無量寿経は弥陀の直説 と解釈すべきであるとの見解です。この説をとりますと、大無量寿経はたとえ釈尊が説かれている経であっても、釈尊の説教の前に弥陀の本願があることから考えると、 大無量寿経は弥陀の直説であり、釈尊はその解説者と解釈せざるを得ないということになります。そうなりますと、弥陀の本願を説く大無量寿経は釈迦の遺経ではなく、弥陀の直説ということになります。
・もう一つ、親鸞聖人が法然聖人の行跡を記録しておられる『西方指南鈔』によりますと、その「巻上末 法然聖人説法 念仏往生」に次のような事柄が法然聖人の言葉として書かれています。  「特留此経止住百歳(特に此の経をとどめおくこと百歳)ととかれたれば、この上下二巻の経典(大無量寿経上下)ひとりのこるべきかときこえ候へども、まことには経巻は失せたまひたれども、 ただ念仏の一門ばかり留まりて、百年あるべきにやとおぼえ候。かの秦の始皇が書を焼き儒者を生き埋めにしたとき『毛詩』ばかりのこりたりと申すこと候。それも文は焼かれたれども詩はとどまりて口にありと申して、詩をば人々そらにおぼへたりけるゆへに『毛詩』ばかりは残りたりと申すこと候をもてこころえ候に、この経とどまりて百年 あるべしと云うも、経巻はみな隠滅したりとも、南无阿弥陀仏とまふすことは人の口にとどまりて百年までもききつたへむずる事とおぼへ候。経といふはまた説くところの法を申すことなれば、この経はひとへに 念仏の一法を説けり。・・中略・・これ秘蔵の義也。たやすく申すべからず。」とあります。要するに大無量寿経も含めて文字であらわした経はすべて滅盡しても念仏は口から口へとつたわっていくので いつまでも人々の中に残って、人々を救済するのだ。ということでしょう。こうなればもう、大無量寿経も含めて全て文字で表した経文は消えうせようとも、人の口から口へと伝わっていく称名念仏 南無阿弥陀仏は百年残って人々を救い続ける。聞くところによれば“百年”の表す意味は“永久”ということだそうですから、称名念仏は永久に人々を救い続けるということです。こうなれば、 大無量寿経をふくめて全ての経文が消え失せようと消え失せまいとそのようなことは問題とならない、末法であろうと法滅であろうと念仏は人の口から口へ生きて人々を救い続けるということ になります。何とすごいことでしょうか。此のことをはっきりと弟子達に示す法然聖人という人は、とてつもないすごい人であり、もはや弥陀の化身としか云いようがありません。もうこうなれば大無量寿経が釈尊が説かれたものか弥陀の直説か、釈尊のの遺法か遺法でないかなどということはどうでもいいことになります。もうただ念仏。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・・・・です。
                       

〔今月はこれで終わります。〕

                                       
◎今月の言葉(2013年10月)

親鸞和讃32 正像末和讃2

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      


(1)
無明煩悩(むみょうぼんのう)しげくして
 塵数(じんじゅ)のごとく遍満(へんまん)
 愛憎違順(あいぞういじゅん)することは
 高峯岳山(こうぶがくざん)にことならず
(2)
有情の邪見熾盛(じゃけんしじょう)にて
 叢林棘刺(そうりんこくし)のごとくなり
 念仏の信者を疑謗(ぎほう)して
 破壊瞋毒(はえしんどく)さかりなり
(3)
末法第五の五百年
 この世の一切有情の
 如来の悲願を信ぜずは
 出離その期(ご)はなかるべし
(4)
菩提(ぼだい)をうまじきひとはみな
 専修念仏(せんじゅねんぶつ)にあたをなす
 頓教毀滅(とんきょうきめつ)のしるしには
 生死(しょうじ)の大海(だいかい)きはもなし
(5)
自力聖道(じりきしょうどう)の菩提心(ぼだいしん)
 こゝろもことばもおよばれず
 常没流転(じょうもつるてん)の凡愚(ぼんぐ)
 いかでか発起(ほっき)せしむべき
(6)
像末五濁(ぞうまつごじょく)の世となりて
 釈迦の遺教(ゆいきょう)かくれしむ
 弥陀の悲願ひろまりて
 念仏往生さかりなり
(7)
超世無上に摂取(しょうしゅ)
 選択五劫思惟(せんじゃくごこうしゆい)して
 光明・壽命(こうみょうじゅみょう)の誓願を
 大悲の本(ほん)としたまへり
(8)
弥陀の智願海水(ちがんかいしゐ)
 他力の信水(しんすい)いりぬれば
 真実報土のならひにて
 煩悩菩提(ぼんのうぼだい)一味(いちみ)なり
(9)
弥陀智願の迴向(えこう)
 信楽(しんぎょう)まことにうるひとは
 摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)ゆへ
 等正覚(とうしょうがく)にいたるなり
(10)
真実信心うるゆへに
すなはち定聚(じょうじゅ)にいりぬれば
補処(ふしょ)の弥勒(みろく)におなじくて
無上覚(むじょうかく)をさとるなり

『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
(1)
無明煩悩は微塵(みじん)の如く無数にみちみちている。
愛執・嫌悪の根強く起伏するさまは、高峯岳山にも喩えられる
(2)
衆生の邪見は盛んになって、くさむら・林のごとく、その恐るべき様は
いばら・とげの如くである。
この邪見から念仏の信者を疑い謗り、怒って破壊の手段さえ盛んに用いている。
(3)
今は末法の時、第五の五百年に当る。
この世のすべての人間は如来の悲願を信じなければ
出離生死の時期とてはないであろう。
(聖道の教えでは生死は離れえぬ)
(4)
無上菩提を得られそうもない人びとは専修念仏に仇をする。頓教一乗の念仏を
非難攻撃した結果として、生死苦悩の大海に沈んではてしがない。
(注)・頓教:速やかに成仏する教法。
   ・一乗:唯一にして究極の理。
   ・頓教一乗:唯一にして究極の速やかに成仏する教法
(5)
自力聖道の菩提心はまことに高遠で、思慮も言説も及ばない。
常没流転の凡夫には、どうしてこれをおこすことができよう。
(注)自力聖道の菩提心:自らの修行によって、覚りを開こうとする聖道門の仏道
(6)
像法・末法の五濁の世となって、釈迦の遺された聖道の諸教は隠れ給うた。
弥陀大悲の本願のみが弘まって、この願に誓われた念仏往生が盛んである。
(注)像末五濁:正像末の内、像法と末法の時代で「時代・思想・煩悩・衆生や命そのものの濁りのある時」
(7)
この上もなく選択(せんじゃく)して、五劫の長時に亘って思惟を重ね、四十八願を立て、
光明無量、寿命無量の誓願を以て衆生救済の大悲の根本とし給うた。
(注)光明無量・壽命無量の誓願:四十八願中第十二の光明無量の願、第十三の寿命無量の願
(8)
大海に川の水が流れこむように、弥陀の本願に、他力の信心が帰入すれば、
往生する真実報土の平等の徳として、煩悩が転じて、全く菩提に同化する。
(注)・他力の信水:真実の信心を水にたとへたるなり(左訓)
・真実報土:極楽を報土と申すなり(左訓)
(9)
弥陀智願の回向の真実の信心をうる人は、摂取して捨てられない光明の利益を
蒙る故に等正覚不退の位に至るのである。
(注)弥陀智願の回向:弥陀如来の悲願を申すなり(左訓)
(10)
真実の信心をうる故に
直ちに正定聚の数に入ってしまうから、
仏の候補者たる弥勒菩薩と同じく
(この一生を終って)、無上覚(菩薩の仏果)をさとるのである。
(注)正定聚:正(まさ)しく浄土に往生することが定まること=定聚

以上、此の度は掲載和讃の数も多く、複雑すぎる画面になることを恐れ
名畑応順師の現代意訳を中心に、そのための左訓と語注の掲載は
必要最小限にとどめました。
また、同じ理由で、一つ一つの和讃の典拠の掲載もあえて行ないませんでした。

【HP作成者感想】
 正像末和讃の第二回目の今月は思い切って10首の和讃を展開させていただきました。先月の初めの三首では、釈迦如来が入滅されて久しく、今や末法の時代に入って釈尊の遺法はことごとく 龍宮に入ってしまったことを嘆くとともに、自力聖道の修行によって生死を超えるさとりは、もはや到底得られぬ時代となったことが強調されています。しかし、このような時代にあっても、 正像末の三時にわたって人びとを生死の繋縛から開放する弥陀の本願のみはかろうじてひろまり人びとの救済にはたらいているが、せっかく釈尊が遺された諸善は末法の今、龍宮にはいってしまい、 世の中に形だけが一応立派に残っている自力聖道の教えや行は用を成さなくなっている。
 このようにして、先月の最初の三首に続く和讃では正像末和讃第四首から第十六首にいたるほとんどの和讃で、自力聖道門では如何ともし難い末法の世の乱れが、これでもかこれでもかと その悲惨さが詠われています。これらの和讃の中から4首を上記(1)~(4)として表示させて頂きました。もちろん初めの第一首から第十六首に至る和讃群の中にも、先月の第三首目(3)の 「正像末の三時には 弥陀の本願ひろまれり」や上記(3)の和讃の「如来の悲願信ぜずは 出離その期(ご)はなかるべし」とわずかではありますが、弥陀の本願が なければとうてい末法の世では生死出離の願いは叶わないことが述べられています。しかし、末法の世にありながら、依然として形だけは残っているが、今ではあらゆる衆生対して生死出離の はたらきを示せない聖道門は相変わらず世事において盛んで、その結果が、正像末和讃第4首~第十六首のように、上記では(1)~(5)のように悲惨な世のありさまがくりかえし詠われています。
 しかし、正像末和讃第十七首(上記和讃では(6))に至って、「像末五濁の世となって 善法である釈迦の遺教は如何せん時代の流れの中で隠れてしまったが 弥陀の悲願の真実が人びとの中に やっとひろまってきて生死の出離が見事にかなえられた念仏往生が盛んになってきた」ことが高らかにうたわれています。そしてその後の上記(7)~(10)の和讃では、あらゆる衆生はわけへだてなく、 弥陀回向の大悲大願により、真実信心のもと、回向の称名念仏によって生死の出離が成就されることを言葉を尽して親鸞聖人は述べておられます。まことに弥陀の回向によって真実信心に至り、 煩悩に障えられながらも浄土を微かにも見聞できれば、やがて
命終われば真実の浄土のど真ん中に生まれることができるのを確信できる。これこそ真実信心における”正定聚”そのことではないでしょうか。

〔今月はこれで終わります。〕

                                       
◎今月の言葉(2013年11月)

親鸞和讃33 正像末和讃3

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      


(1)
無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり
 智眼(ちげん)くらしとかなしむな
 生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
 罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
(2)
願力無窮(がんりきむぐ)にましませば
 罪障深重(ざいしょうじゅんじゅう)もおもからず
 仏智無辺(ぶっちむへん)にましませば
 散乱放逸(さんらんほういつ)もすてられず

『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
(1)
弥陀の本願は煩悩の長い夜のともしびである。
智慧の目が闇(くら)いとて悲しむことなかれ。
本願は生死大海の船であり筏である。
罪障が重いとて嘆くことなかれ。
(2)
本願力は無限にましますから
深重の罪障も重くない。
仏智は無辺にましますから、
散心放縦の心も捨てられない。

◎『左訓』
(左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする)
                             (名畑応順校注 親鸞和讃集 凡例より))

(1)
・無明長夜:煩悩を長きにたとう。
・燈炬:常の燈火を燈(とう)という。大きなる燈を炬(こ)という。
・智眼:智慧のまなこなり。
・船筏:ふねいかだなり。
・罪障;つみ、さわり
(2)
・願力:仏の御力きわまりなしとなり。
・罪業深重もおもからず:罪の障り深く重しと思ふべからずとなり。
・佛智無辺:仏の智慧きわなく広くましますと知るべしとなり。
・散乱放逸:散り乱る、ほしきまゝのこゝろといふ。
・散乱放逸もすてられず:われらが心の散り乱れて悪しきを嫌わず、浄土に参るべしと知るべしとなり。
◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
(1)法然門下にあって親鸞の先輩であり法友であった聖覚の表白文
  「無明長夜の大なる燈炬なり。何ぞ智眼の闇きことを悲しまむ。生死大海の大なる船筏なり。豈(あ)に業障の重きことを煩はむや」
  という文による。
(2)聖覚の唯信鈔中の文「仏力無窮なり、罪障深重の身を重しとせず。仏智無辺なり、散乱放逸のものをもすつることなし」による。

【HP作成者感想】
(1)
 この和讃に接するたびに、その格調の高さに感動します。最初の二行“無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな”ここには主語が欠けていますが、このほうが“詩”として“和讃”としての格調を高めるもとになっています。和讃は散文ではない、人の心の歌なのですから。もちろん主語は“南無阿弥陀仏”すなわち弥陀大悲の慈悲の究極とでもいえばいいでしょうか。この大悲の慈悲に基づく“信心の智慧”は無明の闇にうごめく衆生に光を与える燈炬となる、決して智慧の眼が煩悩によって曇らされていることを悲しむことはない。まことに宗教的詩情をもつともとれる和讃です。 これを読むにつけ平安浄土教の確立者「恵心僧都源信」の信心を詠った正信偈のことば「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」 (極重の悪人は唯(たゞ)仏の名号を称すべし 我も亦大悲摂取の中にあり 煩悩に眼(まなこ)障(さ)えられて大悲を見ることを得ずと雖(いえど)も、大悲は倦(あ)きることなく常にこの私を照らし給う)が思い起こされます。   したがって、弥陀大悲によって与えられた“信心の智慧”は生死の大海に溺れうごめく衆生を大悲の浄土へ救い上げる船であり筏(いかだ)である。おのれの罪障の重さにとても浄土はおぼつかないとなげくことはないのだと格調の高い詩情を持って歌われています。そしてこの和讃の出典をしらべて更にその奥の深さにおどろかされました。この和讃の出典の始原は遠く天竺(印度)に真実の経をもとめて旅したあの「大唐西域記」を書いた中国の玄奘三蔵にあるというのです。「大唐西域記」六に『生死の大海に誰か舟筏(しゅうばつ)と為(な)らん。無明の長夜に誰か燈炬と為らん』とする記述があるというのです。さらにこれを受けて、親鸞が最も親しみを込め、また尊敬の念をもって接した法然門下の先輩である聖覚法印(せいかくほういん 法印は朝廷から与えられる僧の位―聖覚は天台の僧でもあった。) がその表白文に『まことに知んぬ、無明長夜の大燈炬なり、何ぞ智眼(ちげん)の暗きを悲しまん。生死大海の船筏なり、豈(あ)に業障の重きを煩はん』と記しているのを更にうけて、親鸞聖人がここに宗教的詩情をもって和讃されたものと思われます。玄奘三蔵も聖覚法印も親鸞聖人のいずれもが、仏の教えこそ無明にあえぐ衆生が智眼を開く光であり、生死の大海に溺れうごめく有情を救い上げる船であり筏であると、玄奘三蔵は遠く天竺まで経を求めて旅をし、聖覚も天台の法印である身ながら、生死の一大事を求めて法然聖人に馳せ参じ、親鸞聖人も言わずもがな、いずれも自らの宗教的体験からほとばしり出たことばであるに違いありません。
(2)
この和讃も典拠(2)に記しましたように、聖覚法印がその著「唯信鈔」において「仏力無窮なり、罪障深重の身をおもしとせず。仏智無辺なり、散乱放逸の者をも捨つることなし」と述べておられるのを出拠として親鸞聖人がつくられたのがこの和讃であります。  ところで、この和讃でもいわれているごとく、たとえ仏の願力が無窮であっても、 あるいは佛智がたとえ無辺(無限)であっても、どうして罪業深重や散乱放逸が済度されうるのか、これは悪人正機の問題とも関連がありますが、どうして法然や聖覚や親鸞はこのようなことを自信を持っていえるのかということです。「他の動物を殺戮して食い尽くしている人間が救われるとするのは、余りにも身勝手な論理ではないのか」ということとも相まって、問題とするべきではないでしょうか。このことを、道元禅師の「悉有は仏性なり」、あるいは、「正像末和讃 -親鸞の宗教詩-」の著者である早島鏡正師がいわれた、道元の上のことばは親鸞にいわすれば「悉有は他力なり」となるとのことばを基にして考えますと、もし、この世に起ることすべて、すなわち「悉有」が仏性であるならば、あるいは、「悉有」が他力であるならば、この世でおこることは全て仏性であり他力のなせるわざということになります。この論理をそのまま推し進めていきますと、この世に起るもろもろの悪業も罪業もすべてその中にふくまれていることになります。すなわち悉有は仏性であり、悉有は他力なのですから。したがって仏性や他力はすべてこれらの善悪すべての事柄を包含しているいうことになります。明治の親鸞といわれた清沢満之はその著「我が信念」において「如来は私の一切の行為について責任を負うて下さるることである」と述べています。そしてこの事柄が鎌倉時代の聖覚や親鸞をして何のためらいもなく自信を持って云わしめる根源になっているものと思っています。このことについて、これは危険な思想であるといわれるかもしれません。しかし、悪業や罪業を包含せず、きれいできよらかなだけの仏性に悪人は救済できるでしょうか。すなわち悪の空しさ、悪のどうしようもなさ、悪の悲しさを包含せず理解しない綺麗なだけの仏性に悪人を摂取することができるでしょうか。それは丁度、最愛の人をなくした悲しみは最愛の人をなくした人のみがその気持ちをわかるのであって、そのような経験のない人には、その気持ちは決して共感できなのと同じではないでしょうか。浄土に蓮の花が咲いているとするならば、きっとそれを育てる泥もあるでしょう。けっして泥のない花だけの蓮が浄土に浮遊しているのではありますまい。いいすぎかもしれませんが泥ぐちの浄土であってはじめて悪業や罪業を摂取できるのではないでしょうか。ところでそんなことが成り立つならそれこそ造悪無礙につながるではないかというご心配もあろうかと思います。しかし造悪無礙とは、悪を犯してもいずれ救われるのだから悪を犯しても良いのだと、この煩悩の衆生である人間が未来の事柄をきめつけ、一種のさとりのような状態になっていることではないでしょうか。これこそまさに自力の最たるもので、ほんとうのところ、この世の人間にとって一瞬後の事柄も決められず、すべて他力によって与えられるのだとする他力信心ということをはきちがえていることは明らかです。悟っている人間をどうして仏が救う必要があるでしょうか。無いはずです。そしてこのような造悪無礙の態度は、自らの悪業罪業をふりかえり、このような悪人である自分が衆生済度の対象にはなりえないのではと自問する悪人とは根本的に違います。仏は自らが犯したどうしようもない悪を嘆き後悔する衆生を、共に同じ身の上になって嘆く存在ではないでしょうか。そしてその衆生の嘆きがわかる仏であってはじめて衆生の悪をも摂取し、それこそ無限の願力をもって大いなるいのちと一味となって浄華するのだと思うのです。以上、「悉有は仏性なり」、「悉有は他力なり」ということばを出発点とした論理を展開させていただきましたが。あらためて高僧和讃の曇鸞の章にある下記の2首が念頭に浮かぶところです。 (1)「罪障功徳の體となる こほりとみづのごとくにて  こほりおほきにみづおほし さはり多きに徳おほし」  (2)「名号不思議の海水は 逆謗の屍骸もとどまらず  衆悪の萬川帰しぬれば 功徳のうしほに一味なり」 (3)「盡十方無碍光の 大悲大願の海水に  煩悩の衆流帰しぬれば 智慧のうしほに一味なり」 以上、私が上に書きました事柄は相当のはみだした考えで危険であると思われる向きもあるかもしれません。皆さんのご批判を仰ぎたいと存じます。 また、親鸞聖人が関東の人びとに与えた書簡の中のことば「くすりあればとて、毒をこのむべからず」という深い思索の中から出たことばに頭を垂れ、この親鸞の導きによって日々を生きていきたいものと思います。

〔今月はこれで終わります。〕

                                       
◎今月の言葉(2013年12月)

親鸞和讃34 正像末和讃4

-『岩波文庫 名畑応順校注 親鸞和讃集』による-
(ふり仮名は現代風の読みに変えました。)

                                                      


 智慧の念仏うることは
 法蔵願力(ほうぞうがんりき)のなせるなり
 信心の智慧なかりせば
 いかでか涅槃(ねはん)をさとらまし

『現代意訳(名畑応順師訳)と語注』
智慧の念仏(名号は仏の智慧)を得るのは
法蔵菩薩の願力のはたらきである。
この(念仏を身に得る)信心の智慧がなかったなら
どうして涅槃のさとりを得ることができよう

◎『左訓』
(左訓は本文の作者が付けたのか、後人が書き加えたのか、不明なものも多少あるが、
作者でなければ、書き得ないと考えられるものが大部分であり、いまは作者の自記とする

(名畑応順校注 親鸞和讃集 凡例より)

・智慧の念仏:弥陀の誓ひをもて仏になる故に、智慧の念仏と申すなり。
・涅槃:まことの仏になるを申すなり。
◎典拠(いずれも柏原祐義著「三帖和讃講義」、高木昭良著「三帖和讃の意訳と解説」および名畑応順師著「親鸞和讃集」による)
 曇鸞の 『讃阿弥陀仏偈』(さんあみだぶつげ)の「皆是れ法蔵願力の為せるなり、大心力(だいしんりき)を稽首(けいしゅ)し頂礼(ちょうらい)したてまつる。」や
『選択集』上巻の「当(まさ)に知るべし、生死(しょうじ)の家には疑(うたがい)を以て所止(しょし)と為(な)し、涅槃の城には信を以て能入(のうにゅう)と為す。」によったもの

【HP作成者感想】
 「正定聚、等正覚に到れば必ず滅度に到る。すなわち命終の後、必ず仏となる」といいますが」、これには、いうまでもなく、必ず真実信心の自覚が、生きているその人にあって、 はじめていえることです。なぜなら、生きている内は死後のことはわからないからです。真実信心の自覚といいますがこの自覚はもちろん与えられたるものであります。 ここにおいて他力ということが信心の大きな要素となっている。いや他力ということが信心のすべてかも知れません。安心決定鈔にいうところの「南無(なも)の機(き)と 阿弥陀仏の片時(かたとき)もはなるることなければ、念々みな南無阿弥陀仏なり。 されば出づる息、入る息も、 仏の功徳をはなるる時分(じぶん)なければ、 みな南無阿弥陀仏の体なり」という他力のはたらきであり、或いは清沢満之が絶対他力の大道でいう「一色(いっしき)の映ずるも、 一香の薫ずるも、決して色香そのものの源起力によるにあらず。皆、かの一大不可思議力の発動に基くものならずばあらず。色香のみならず、我等自己そのものは如何。 その従来するや、その趣向するや、一つも我等の自ら意欲して左右し得るところのものにあらず。ただ生前死後の意の如くならざるのみならず、現前一念における心の起滅、 また自在なるものにあらず我等は絶対的に他力の掌中にあるものなり。」
 この与えられたる自覚あってこそ、『一遍上人語録』にある「南無阿弥陀仏と一度正直に帰命せし一念ののちは、我も我にあらず、故に心も阿弥陀仏の御心、 身の振舞も阿弥陀仏の御振舞、ことばも阿弥陀仏の御ことばなれば、生きたるいのちも阿弥陀仏の御いのちなり。」ということが光輝を発するのであり、 妙好人才市翁の「わしがあみだになるじゃない、あみだの方からわしになる。なむあみだぶつ」ということばが自ずと出るのではないでしょうか。 このような、生きてある今に、すべてが弥陀のはたらきであるという、与えられたる信心の自覚の世界がひらけて、はじめて往生浄土、 すなわち命終の後の涅槃の世界がひらけるのではないでしょうか。 そして、もう一つ、私の場合、如来二種の迴向、すなわち往相・還相の迴向の内、往相の迴向は 上述のことがらから何となく感ずるところがあるのですが還相の迴向、すなわち命終の往生浄土の後、再びこの世に還って衆生済度にあたるということですが、 このことがあらゆる意味でわかりませんでした。しかし、この和讃の最初の2行「智慧の念仏うることは、法蔵願力のなせるなり」から学ぶことは、命終の後、 成仏することができたならばそれは既にして正真正銘の弥陀と一体になることですから、当然、法蔵の願力がフルにはたらく世界、すなわちこの世にあって 大慈大悲のはたらく世界であり、これこそ正真正銘の衆生済度、還相迴向の世界ではないでしょうか。そして、この世界も上記でいうところの信心の世界あっての ことであるということがまざまざといえるのではないでしょうか。
 

〔今月はこれで終わります。〕